本当に面白い映画が、また一本増えました

 僕が映画館に行くのは面白い映画が観たいからです。

「面白い映画が観たい」、その思いには新しい映画を開拓するという面があります。自分が初めて目にする映画が楽しめるかどうか、以後「面白かった」として心に残るかどうかは観終わるまでわからないので映画館に行くのは僕にとって一種の賭けでもあります。最近はかなり「面白かった」と言える映画に恵まれてますが、やはり「うーん…」といったものや「お金払った意味、無かったな」と思ってしまうようなものにも逢ってきました。それでもDVDが出るまで待たずに映画館にちょくちょく行くのは、やはりあの環境が味わいたいのが大きいですね。ポップコーンなど映画館の心地よい香り、ゆったりとした座席、一たび上映が始まれば視界に映画しか入らない劇場、映画に極限まで没入できる音響……この環境の中で観た面白い映画は思い出として自分の中に残ります。劇場公開が終わると、DVDをレンタルして家で観るという流れは同じでも、この映画館で観たという思いでがあるとないでは、いつもの家のテレビなどで再生する時の感触が圧倒的に違うんですね。

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インフィニティ・ガントレットにまつわるアレコレ

f:id:the-Writer:20181014214438j:plainMCUにインフィニティ・ガントレットが初登場したのは2014年にマーベル・スタジオが行った「フェイズ3」のプレゼンテーションにて披露されたPVが初だと思います。これまでのキャラクター達のセリフをバックに、6色のストーンがはまった金色にギラつくガントレットをカメラが嘗め回すように映し、サノスがそのガントレットをはめた左手を握る……というものでした。ちなみに当のフェイズ3は『キャプテン・アメリカ/サーペント・ソサエティ(原題)』(後の『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』)で始まり、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー パート2(原題)』(後の『アベンジャーズ4(仮)』)で完結する予定とされていました。

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今のうちに『アベンジャーズ4(仮)』についてわかる事、まとめました

※本記事はアベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』『アントマン&ワスプ』のネタバレ、及び『アベンジャーズ』第4作のネタバレとなりうる情報が含まれています。

 

ルッソ兄弟が、またやらかした

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の衝撃から早半年がたちました。公開前にはよく「MCU10年の集大成」、「アベンジャーズガーディアンズがついにクロスオーバー」、「これまでのヒーローたちが結集してサノスに立ち向かう」……などといった事が言われており、ファンたちの期待はまさに最高潮に達していたと思います。マーベル・スタジオの方も最近のファンの動向を熟知しており、本編は実際に劇場で見てみないとわからないように事前の宣伝も徹底していました。例えば、本編から改変したフェイクシーン満載の予告編が良い例です。思えば前アベンジャーズ二作の時は予告編は公開日の7カ月前に公開されていましたが、IWは6カ月前とファンは若干のお預けを食らうことになったなあなんて思ったり(そのせいかこんな熱狂的なファンも現れる始末……)。

f:id:the-Writer:20181007163104p:plain僕は映画館のポイントがたまっていたのでタダ券を使って4/29の公開初日に見に行きました。あの数々の想像を超え、期待を裏切る感触時の体験はいまだに鮮やかなままです。ロゴが流れ始める時かなたで太鼓のような音が聞こえるもののほぼ無音で「ん?音響が壊れた?」と思った瞬間に流れ始める不気味な音楽。遊びのように成すすべなく命を奪われていくアスガルド人たち。目まぐるしく変わる場面展開にそれぞれの場所に結集していくヒーローたち。独自の哲学・正義によって英雄にして救世主のごとくふるまうサノスの気味の悪さ。そしてあの怒涛のラストの展開です。バッキーが何が起こっているかわからない、と純粋に途方に暮れた顔を残してそのままに文字通り「消え去っていく」様には絶望とはまた毛色の違う、無にも近い感情を覚えました。あの時の頭が真っ白になる空虚さ、その裏に薄々と這ってくる悪寒がそのまま体験として、一種の感情として脳裏に焼き付きました。

「DIRECTED BY JOE AND ANTHONY RUSSO」の文字がバーンと出る時はまだ信じられませんでした。え、ここで終わるの?この後どうするの?と。これまで慣れ親しんできて、これからも何とか頑張って勝利を重ねていくヒーローたちがあっさりと絶命していった物語を僕はどう受け止めたらいいのかまるでわかりませんでした。今までアベンジャーズといえばお祭り作品、特に『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』がMCUで一番好きな僕には辛かったですね……公開前のインタビューで監督が述べていた通り、「これはサノスがヒーローとして自分の道を突き進み、最後に欲しいものを手に入れるという物語である」とみれば、なるほど一応筋は通っています。当初の僕は、その衝撃の余り二度と観たくありませんでした。こんなにひどい展開があって良いのかと。マーベル・スタジオも、明らかなバッドエンドにゴーサインを出したのはすごいですよね。しかしインターネットを通じてファンたちの考察がポツリポツリと伝わってくるにつれ、IWはあの展開の中にも、巧妙にかすかな希望の道筋を残していたことが見え隠れしています。本記事を書いている2018年10月現在、未だにタイトルが明かされない『アベンジャーズ4(仮)』、これまでのMCUの旅路の完結編ともなる作品までもう1年とありません。今回はそれに向けて、多少の心構えをしていくため、IWの一部の重要な出来事を紐解き、『アベンジャーズ4(仮)』の考察をしていこうと思います。

なお、これは一部ではあるものの『アベンジャーズ4(仮)』の確信的なネタバレに踏み込みかねません。素晴らしい作品は時代に関わらず人々に訴えかける普遍的な魅力を持つものです。IWが奇をてらってひたすら観客の期待を裏切り続ける作品であり、『アベンジャーズ4(仮)』でIWの出来事がすべて解決するならば、IWは大金を投じたただの悲劇的な物語になってしまうのではないでしょうか。IWがMCUの代表作、映画史に残る傑作として生き残っていくには『アベンジャーズ4(仮)』が出て、すべての種明かしがされてなお、輝き続ける魅力がなくてはならないのです。つまりIWの全てが次作で万事解決するとは、僕には到底思えないのです。とはいえ何も知らず、IWの絶望に突き落とされる鑑賞体験も本来なら『アベンジャーズ4(仮)』までの1年間しか持たないものであり、それは非常に貴重なものです。本記事はその貴重な期間を短縮するものとなるのですが、僕は意図せずして他のファンの方々の貴重な体験を奪いたくありません。もしSNSなどで本記事の内容を投稿する場合には、「誰が書いたのか」という出典元を明確にするため、リンクを共に張り付けてもらうようお願いします。情報だけがすさまじい速度で拡散し、ネタバレを食らうことで貴重な体験を奪われるという被害も拡大していくという事態を少しでも避けたい、そういった意図を持ったうえでのお願いでした。また、この先を読み進めていただく方は覚悟を持ったうえでお願いいたしますねm(_ _)m

また、以下から

アベンジャーズ』→AVG,『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』→AoU,『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』→IW,『アベンジャーズ4(仮)』→A4

と略称で書きます。

 

すべてはドクターの計画だった

何の情報も入れないままだとIWは絶望のエンディングを迎えたまま終了します。しかし巧妙に隠された希望の中で一番のものは、やはりストレンジの決断ではないでしょうか。当初トニー・スタークと出会ったばかりのころは似た者同士、(案の定)ギスギスした関係でした。その中で彼が再三強調し、マウを排除した後のQシップ内で改めて明言したのはタイムストーンをサノスに渡さない事の重要性です。インフィニティ・ストーンの中でも時間をつかさどるタイムストーンはひとたび敵の手に渡ればたとえこちらが勝利の一歩手前まで行ったとしても時間を巻き戻されて全てがなかった事になる……それほどまでに強大な能力を持ちます。

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「だがこれだけは言っておく。もしも君やあの少年、そしてタイムストーンのどれかしか選べない状況になったら、君たちを迷わず切り捨てる」

「素晴らしい倫理観だ」

ところが、自身の全力をもってしても敗北したスタークがサノスに殺されそうになると、ストレンジが待ったをかけます。これがのちにサノスがストーンを全種類そろえることへの重要な契機となるのですが、明らかに前述の言動とは矛盾しています。共闘を通して協力関係を多少は築いていたとしても、スタークを救うばかりかあれだけ固執していたタイムストーンを手放してしまうのです。結果、自身が命を落とすこととなりました。

f:id:the-Writer:20181007163703p:plainQシップがタイタンに不時着し、ガーディアンズと出会った後彼一人が異様な行為をしていました。曰くタイムストーンを使うことで、サノスとの戦いから生じる可能性のあるあらゆる時間軸を見てきたと言います。

「いくつ見た?」

「1400万と605」

「勝ったのは?」

「1」

観客側にも緊張が走ったセリフでしたが、サノスとの戦いに勝ったといわれる時間軸を「勝利ルート」と呼ぶことにします。『ドクター・ストレンジ』で描かれた彼を見ているとわかるのですが、彼は本っっっっっ当にしつこいです(悪口じゃないですよ)!感想にも書きましたが、門の前に5時間も居座る、絶対に笑わないウォンにジョークを投げ続ける、挙句ドルマムゥに何百回殺されようともそれでもあきらめません。彼は自分の望みをかなえるまで、絶対にあきらめない不屈の精神の持ち主です。そんな彼ですから、当然「勝利ルート」を取ったと考えるのは最早必然でしょう。f:id:the-Writer:20181007163824p:plainということは、彼が時間を超えてあらゆる未来を見た以降の彼の行動はすべて彼の計画の範疇となります。また、未来を見たというのは恐らく結果という一場面をみたのではなく、その結果につながる経緯まで余さず目撃したのではないでしょうか(このある意味チート行為は「この闘いはどのような結末に転ぶのか」「勝つにはどうすればいいのか」といった意図で実行に移したと思うので)。そんな彼には持ち前の一度見たものを映像のごとく記憶する天性の能力があります。ならばタイムストーンを狙ってNYに襲撃をかけてきたカル・オブシディアンの左腕を切断したポータル、タイムストーンを使ってサノスに戦いを挑む、スターロードが「ガモーラはサノスによって殺されてしまった」と聞くのを妨害するなど、観客が「いや、こうすればいいじゃん」といったあらゆる道筋は結局敗北につながることになります。彼のタイタンでの一挙一動はすべて計算されたものということになるのです。

f:id:the-Writer:20181008142253p:plainサノスによって全宇宙の生命の半分が死亡した際、アイアンマン,キャプテン・アメリカ,ソー,ハルク,ブラック・ウィドウ,そしてホークアイも(A4 に登場するので事実上)生存しており、オリジナルのアベンジャーズが残されました。 これは単なる偶然ではないことを監督も認めており、つまりアベンジャーズが生き残る事も勝利ルートの一部であり、ストレンジはスタークを生かしたことになります。ストレンジの目的が、「スタークの生存」「タイムストーンをサノスに渡すこと」の二つならば、そもそもなぜタイタンでサノスと交戦する必要があったのでしょうか?答えは恐らく、アントマンです。

f:id:the-Writer:20181007163923p:plainアントマン&ワスプ』で明らかになったところによると、地球についに襲来したサノスがストーンをすべてそろえているころ、量子世界の神秘を明らかにするためにスコットは量子世界に飛び込んでいました。ピム博士によると、量子世界とは時間と空間の概念が通用しない場所であり、これはウォンに言わせる「存在の各側面をつかさどる」インフィニティストーンの力の及ばない場所であるのです。量子世界に飛び込む能力を持つアントマンの生存、これもまた勝利ルートの条件の一つであり、ストレンジはスコットが量子世界に突入するまでの時間稼ぎとしてサノスと戦ったのではないでしょうか。

ストレンジが勝利ルートのすべてを完璧に理解したことにより、タイタンでの彼の行動はすべて頼もしく見えますが、ストレンジはおろかインフィニティストーンによって命を落とした生命たちへの希望の道筋が、ストレンジの行動から導き出されます。そもそもなぜ彼に勝利ルートという未来が見えたのでしょうか?ドクター・ストレンジ』にて注目すべき場面が二つあります。一つ目はカエシリウスに致命傷を負わされたエンシェント・ワンとストレンジがアストラル体でべランダで会話をするシーンです。

f:id:the-Writer:20181007164138j:plain非常にドラマチックな場面の中で、エンシェント・ワンは望まない未来を防ぐために、タイムストーンを使って何度も時間を巻き戻していたことが示唆されました。しかし彼女がそれを口にする前に、「どうやってもこれより先の未来が見えなかった」と言います。二つ目はドルマムゥに戦いを挑むストレンジ。

f:id:the-Writer:20181007164211p:plain彼はタイムストーンを使うことにより、永遠にループし続ける時間の牢獄を作り出しました。そのループが発動する条件とは、タイムストーンの使用者であるストレンジが死亡=肉体が消失した時と定義されています。この二つの場面より推測されるタイムストーンの性質とは、「使用者は自身の死より先の時間を見ることはできない」ということなのです。

f:id:the-Writer:20181007164233p:plainタイタンで勝利ルートをとったストレンジはタイムストーンを明け渡したことにより、肉体が消失して死亡します。脚本家が「劇中で起こった死は本物です」と強調した通り、ストレンジがただ単に死亡したのならその先の勝利する未来が見えるのはありえないのです。肉体が消失してもなおその先の未来が見えたストレンジは、どこかで「生きて」おり、今もなおその経過を見ているのです。肉体が死亡した以上、アストラル次元にもいられないストレンジが逝った先はどこか?それは終盤にサノスが転送され、幼少期のガモーラと出会った一面オレンジ色の幻想的な世界、ソウルワールドの可能性が高いです。

f:id:the-Writer:20181007164405p:plainソウルワールドとは、ソウル・ストーンによって作り出された異次元のことを指し、名前から察せられる通り生物の魂がその中に存在します。現に、ソウルワールドを意図していたことは監督によって認められています。サノスによって肉体を灰化させられて死亡した全宇宙の生命の半分は、ソウルワールドにいるのではないでしょうか。これを裏付けるかどうかはわかりませんが、サノスの「指パッチン」の瞬間を描いた映像を複数並べた結果、面白い描写が見えたとする指摘があります。

映像はリンク先にて再生していただきたいのですが、『アントマン&ワスプ』オマケシーンにてスコットが地上にいるピム一家と連絡が途絶えた瞬間のことです。つまりピム一家が命を落とした際、色とりどりの虹色の量子世界にてスコットの周りにソウル・ストーンと同じオレンジ色のエネルギーたちが急激に数を増して出現しているのです。これは何を示唆しているのでしょうか?

f:id:the-Writer:20181007164509p:plainまた、メタ的な視点から考えてみてもIWまでは5つのインフィニティ・ストーンは最低映画1作分はあててその能力を遺憾なく描写してきました。そして最後のインフィニティ・ストーンであるソウル・ストーンはIWでようやく登場したのですが、結局その能力自体は明確にはわからずじまいではなかったでしょうか(ストーン自体を手に入れる過程の困難さはしっかり描写されましたが)?次作であるA4にてソウルワールドが取り上げられるとなると、流れとしても自然なように思えます。

f:id:the-Writer:20181010144856p:plainもう一つ、「指パッチン」によって消し去られた生命が本当に死亡したのか検証できる方法があります。カギを握るのはシュリです。16歳にして既にMCUでは最も秀才とされる彼女は、兄であるワカンダ国王ティチャラが急逝したことにより、急遽代理の王座に就くという筋が考えられます。『ブラックパンサー』を思い出していただきたいのですが、ワカンダの王位継承の儀式の一つにハート型のハーブの摂取によって「祖先の場所」に行くというものがありました。そのアストラル次元には歴代のブラックパンサー達の魂がいます。同作にてハート型のハーブはすべてキルモンガーによって燃やされてしまいましたが、シュリの頭脳と残された数々の資料をかき集めれば、ヴィブラニウムによる突然変異によって生まれたハート型のハーブは再現が可能になるのではないでしょうか?先のソウルワールドの仮説が正しければ、ティチャラはそこにはいません。むしろシュリは父のティチャカから励ましの言葉を受けることで兄をもとの世界に連れ戻す事に専念する……という流れでしょうか。これが実現すれば共演の機会がなかった親子が、ティチャラ初登場の『シビル・ウォー』から数えて4作目にてようやく実現することにもなり、ファンとしてはかなりアツいのですが……。f:id:the-Writer:20181010144936p:plain

ここからは完全に予想です。ソウルワールド内に転送されたストレンジは、かつてエンシェントワンがカマー・タージを初めて訪れた自分を、量子世界含む数々の異次元に飛ばしたように、どうにか次元の壁を越えて量子世界を漂うスコットに連絡を取ります(もしかしたら自身が量子世界に行くかも)。サノスという強大な敵がいること、その目的と起こってしまった事、しかし自分たちはこうして別の次元に生きている事……それら必要な情報をスコットに伝えます。スコットはジャネットに近づかないように言われた時間の渦に飛び込み、結果数年先の未来にたどり着きます。そこでスタークに接触することでストレンジから聞いたすべての情報を伝え、スタークはB.A.R.Fシステムによってスコットの見たもの聞いたものを学びます。これが失意のスタークの原動力となる……といった感じでしょうか。

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以前IWのものとしてリークされたプレビズがあります。そこではアストラル次元から現実世界へと語りかけるようなエフェクトがかかったストレンジが、アイアンスパイダーマンに”Peter! Protect them. They are not dead”と語りかけています。何らかの関連がありそうです。また、スパイダーマン役のトム・ホランドがストレンジ役のベネディクト・カンバーバッチと受けたインタビューで「彼の方は大変です!彼は量子世界についていろいろ話さなければいけないので」と発言するなど、この説の裏付けとなりそうな情報もいくつかあります。

 

ロキは本当に死んだのか?

インフィニティ・ストーン6つの力によってその肉体を文字通り消し去られた犠牲者たちは、ソウル・ワールド内に囚われているなどの仮説により、どうにか復活はするだろうというのがIWを見た人たちが漠然と抱く考えであると思います。なら「指パッチン」の前にサノスの手によって生々しく命を絶たれた犠牲者3人はどうなるのか、という不吉な疑問が僕の脳裏をよぎりました。

まずソウル・ストーンの生贄にされたガモーラは、その魂がソウル・ワールド内にとらわれている……と、終盤サノスがソウル・ワールドに入ったシーンから読み取ることもできます。f:id:the-Writer:20181007165024j:plain

次にヴィジョンですが、実はヴィジョンの意識はすでにシュリによってラボ内のコンピューターに転送・あるいはコピーされていたのではないかという指摘があります。マインド・ストーンの摘出は時間不足でできずとも、ヴィジョンの精神そのものは移動もしくはコピーができたということですね。同様の事例で『エイジ・オブ・ウルトロン』でウルトロンの意識をクレードル内に転送する、というのがありました。あれは時間を要してはいましたが、一応説の一つとしてはあり得るでしょう。ヴィジョンの意識は別の場所に転送されただけでなく、そこからヴィブラニウム製の赤い肉体を遠隔操作していた……というのも面白そうです。加えて、『アベンジャーズ4(仮)』のものとされるリークされたコンセプトアートには、ワカンダを背景にストーンを取られて色を失ったヴィジョンが活動している場面が描かれています。f:id:the-Writer:20181007164810p:plainf:id:the-Writer:20181007164816j:plain

そして、ロキです。ロキをめぐっては特にファンの間でも激論が交わされたのではないでしょうか。少なくとも、個人的にはやはりロキの動きは何か違和感がありました。誰もが察した通りサノスによって殺されるのは目に見えていたはずですが、その一歩先を行く意図とは何だったのか。ロキの生存説ひいてはA4登場説をめぐってさまざまな説がある中で、大きく分けて二つになると思います。ステイツマン内で、サノスによって首を締めあげられたロキは本物だったのか否か、言い換えるならあそこでロキは死んだのか否かです。ここでは、僕が個人的に面白いなと思った説を紹介させてもらいたいと思います。

結論から言うと、あのロキは本物でした。ロキはサノスの手によって死亡しました。しかし、ここで原作コミック及び更に原作の北欧神話の設定が登場します。「死は終わりではない。戦いによって死んだアスガルド人は、その魂はヴァルハラに送られる」と。このヴァルハラ、実は『バトルロイヤル』にて登場したと考えられます。オーディンがその肉体がエネルギーと化してなお、ソーに助言を与えたあのノルウェーの草原です。実際、ソーはハルクやヘラに死ぬ寸前まで追いつめられることでソーの意識はあの草原につながりました。よって、あそこは地球の魔術師たちが行くアストラル次元・ワカンダの歴代の王が行く祖先の場所に並ぶ、アスガルドのアストラル次元と言ってもよいでしょう。祖先の場所には死してなお、歴代のワカンダ王の魂が生き続けています。ならば、アスガルドのヴァルハラには今誰がいるでしょうか?オーディンです。オーディン、もしかしたら歴代のアスガルドの王たちの知識や援軍を求めてロキはあえてサノスに「戦いを挑み」、そして「殺される」ことでヴァルハラに行ったということです。「オーディンソン」と名乗った際はヴァルハラに行く際、真のアスガルド人であると心の底から認める必要があったという可能性もあります。もしかしたらヴァルハラから現世へと戻ってくる術もあるかもしれません。

f:id:the-Writer:20181007165010p:plainまた、ロキがあそこで「死亡」するのはヴァルハラに行くという目的だけではありませんでした。彼は一度ブラック・オーダーやガモーラ、ネビュラとと並んでサノスの配下になったゆえ、サノスの行動理念もよく理解していたはずです。「全宇宙の生命を半分にする」、そして何より「均衡(バランス)」です。サノスはロキがよみがえったという話を知っている以上、ソーとロキがアスガルドを統べる兄弟ということも知っていたことでしょう。このままロキが生き延びて再びサノスにつけば、サノスは均衡の理念に従ってソーを殺してしまう可能性が高い。数々の計算を行った結果、ロキはあえて一見無謀に見える行為に走ったと考えられます。実際、サノスはロキが自分の手で無残に死んだことで非常に満足げな反応を示していました。

f:id:the-Writer:20181007164854j:plainそれが功をなしたのか、ソーはステイツマン内でも直接手を下されることはなく、「指パッチン」も生き残りましたが、そのあとロキはどうやってソーに接触するのか?

ルッソ兄弟の指揮下で、ダラム大聖堂にて撮影が行われました。SNS上の投稿によって共有されたときは、それがIWなのかA4に登場するのものなのかわかりませんでした。現在はIWに登場しなかった以上、A4に登場するものとわかりましたが、このセット内に注目すべき像があります。

AoUの洞察の泉でソーがみたラグナロクの夢と同じものです。あのアスガルドなのに異界のような雰囲気を考えると、ソーが行くのは黄泉の国のようなところという可能性が考えられますね。大聖堂での撮影にはヴァルキリー役のテッサ・トンプソンとロケット(のダミー)が撮影に参加。そのほか、ソー役のクリス・ヘムズワーズとバナー博士役のマーク・ラファロが近くのスコットランドにいました。二人とがIWで地球を訪れたのはワカンダあるいはNYのみなので、「破天荒チーム」リベンジャーズが勢ぞろいでこの謎のシーンに参加しているのは確定です。そして近くでヘラ役のケイト・ブランシェットの目撃情報が入りました。具体的な内容は不明ですが、ソーを中心にアスガルド人たちの死者の国との交信があることは確定と言って良いでしょう。それを裏付けるように、以前マーク・ラファロが「(ヘラ役の)ケイト・ブランシェットや(エンシェント・ワン役の)ティルダ・スウィントンと仕事をした、彼女たちは~」とポッドキャストで述べていました。その時点で彼がその2人と仕事をした映画はありません。つまり、それはIWでもなくA4のことを指しているのです。ヘラがA4に再登場するのは確定として、エンシェント・ワンまで登場するとは意外ですね!さすが至高の魔術師といったところでしょうか……。

f:id:the-Writer:20181013102238p:plain『バトルロイヤル』該当シーンをコマ送りで見るとわかるのですが、巨大なサーターに立ち向かうヘラが、サーターに大剣を突き立てられるその瞬間、緑の閃光を放っているんですね。天性の能力にテレポートがあるヘラは、サーターに剣を突き立てられるその瞬間まで、アスガルドからそれこそ際限のない力を得ていました。となると、ヘラが向かった先はヘルあるいはヴァルハラなど、ロキのように単純に死亡したわけではなさそうですが……?

よって、ヘラまで関与するこの「黄泉の国」のシーンでソーとロキが再開するというのがこの説です。

 

ニック・フューリーとアベンジャーズ計画

f:id:the-Writer:20181010143706p:plain先ほどサノスが勝利したにも関わらず、NY決戦にて結集したオリジナルのアベンジャーズが全員生存していると書きました。ガーディアンズ、ストレンジ、スパイダーマンブラックパンサー、ワスプに至るまでヒーローたちは容赦なく消滅しているのに、この6人が一人も欠けることなく生き残る…明らかに何か不自然ではないでしょうか?ここで、(もうネット上ではかなり広まっているかもしれないですが)有力な説を載せさせてもらいますね。恐らくこの説は日本ではこちらが初出かと思われます?

今日匿名マンとしゃべってたアベンジャーズ4の予想メモ:キャプテン・マーベルは90年代が舞台でフューリーとコールソンが登場。もしかしたらそこで「アベンジャーズ計画」の始まりが描かれるのでは?
予想:
フューリーは何か、あるいは誰かの警告によっていずれ訪れる脅威を知る。
その際に協力してもらうことをキャプテン・マーベルに約束し、コールソンと共にアベンジャーズ計画を立案。その他さまざまな準備のため暗躍を開始

大胆な仮説:
フューリーは未来を知る誰かからの警告を受けたのでは?

フューリーに警告した候補:
未来からアストラル体を飛ばしたストレンジ?
時空間の影響を受けない量子空間を通してメッセージを送ったアントマン
あるいは”一周目”で失敗した(サノスの計画を阻止できなかった)時間軸の誰か?

地球の危機を察知しキャプテン・マーベルに連絡したフューリー。今までも大きなピンチはあったのになぜ今?
→サノスの計画と彼の到来を予期していた?
キャプテン・マーベルこそがサノスへの切り札になり得る?
←そもそもなぜ地球のヒーローたちを集めようと考えたのか?

アベンジャーズ計画。MCUには過去から超人が多数存在するのになぜ彼らが選ばれた?
アベンジャーズ初期メンバーがなぜ揃って消滅を生き延びた?
→そもそも「消滅しないことが確定しているメンバー」を集めてチームを結成したのでは?
←サノスが指パッチンを成功させることは確定事項であり、その後でサノスを倒しガントレットによって起こった現象を取り消す(Avenge)ことこそが最終目的?

ナターシャとバートンはS.H.I.E.L.D.エージェントとして雇用、
スタークにはコールソンを監視につけ彼がアイアンマンとなった際には直接接触し協力を要請、
S.H.I.E.L.D.と協力関係を結んだスタークにハルクの情報を探らせる、
ソーのハンマーが落ちた際にはコールソンを派遣し地球にやってきた彼を仲間に、
チタウリ襲来に備えてスティーブを掘り起こし覚醒させる……

大消滅までに欠員が出てしまった時のためのプラン(T.A.H.I.T.I.)まで用意されていた。このメンバーが揃うことに重要な意味がある?


〜ここまですべて妄想〜

ちなみに匿名マンさん(@amefig_9836)と始条アキラさん(@AkiraShijo)はどちらも非常にMCUに精通しているお方ですが……非常に興奮させられる内容ではないでしょうか?


キャプテン・マーベルの情報が不足しているので踏み込んだ説明はできませんが、個人的にはニック・フューリーは事前にサノスの襲来と結末を知っていた事・キャプテンマーベルとはその同盟を組んでいた事は確定事項だと思うんですね。また、フューリー演じるサミュエル・L・ジャクソンはこんな気になる発言もしています。

 

f:id:the-Writer:20181010115943p:plainフューリーはMCU第1作目『アイアンマン』オマケシーンにて初登場し、「私がアイアンマンだ」と正体を明かしたトニー・スタークの元を訪れて「君はより大きな世界の一部になったに過ぎない」「アベンジャーズ計画の話をしに来た」と告げました。90年代を描く『キャプテンマーベル(原題)』で起こる何らかの出来事により、いずれやってくるサノスの引き起こす大惨事を知ったフューリーが、地球側の対抗策であるアベンジャーズのメンバーとしてスタークをリクルートしに来るのは自然な流れです。

f:id:the-Writer:20181010121102j:plain思えば『アイアンマン2』ではフューリーは、自分の命に関わるアーク・リアクターこそが自身の命を縮めていると知って自暴自棄になったスタークのもとを訪れています。スタークを立ち直らせるためにあらゆるサポートをしてくれましたが、S.H.I.E.L.D長官としての立場を考えるといやに丁寧というか、スタークに対して「優しい」です。まるで個人的に気にかけてくれているように。そしてようやく地道な工作が実ったことで、サノスの差し向けたロキとチタウリ軍との戦いであるNY決戦では何とかアベンジャーズは機能しました。それから3年後のAoUでは、宇宙の脅威への恐怖から自ら災厄を創り出してしまったスタークのもとを訪れています。f:id:the-Writer:20181010115706p:plain「S.H.I.E.L.Dの長官ではなく、ただスタークのことを気に掛ける一人の老人」としてまたもや個人的にアドバイスを与えるフューリーですが、スタークがワンダに見せられたというものを語る時にこう言います。

「仲間が死ぬのを見た。それよりひどいことがあるか?……いや、あった」

「それは君が生き残ってしまったことだ」

AoU公開時点では人生経験豊富なゆえのアドバイスに聞こえますが、今になって改めて見てみるとまた違ったように聞こえませんか?あたかもスタークが何を恐れ、その身に何が起こるかを知っているかのように。

f:id:the-Writer:20181008141848p:plainそのさらに3年後、NYとエディンバラに突如異形の宇宙船が襲来、スタークが行方不明になったため、フューリーは車内で右腕のマリア・ヒルに状況を調査させています。ここでも第一に安否を気にしているのはスタークです。そしてついに、来るべき瞬間が訪れます。

目の前でマリア・ヒルが消滅した時の彼の表情に注目すると、あまりの衝撃に動揺している……というよりむしろ、聞かされていたあの時がついに訪れてしまった、というように見えませんか?あたかもずっと前から覚悟はしていたように。そして的確にキャプテンマーベルへの救援信号を送っています。彼自身が消滅した後も、信号を送り届けたポケベルにはキャプテンマーベルのロゴが表示され、送信は成功しました。『キャプテンマーベル(原題)』で最後の希望である彼女の力とその意味が明かされるのが楽しみです!

アベンジャーズとは報復者たち、ボロボロにやられても必ず逆襲する意味合いが込められています。今アベンジャーズはバラバラの状態です。中心メンバーであるキャプテンアメリカとアイアンマンは決裂したまま、アイアンマンはキャップがいる地球から遥かかなたの荒廃した惑星タイタンに置き去りです。ホークアイもソコヴィア協定違反で逃亡犯扱い。そして全力を尽くしてもなお敗北したサノスにすべてを奪われました。そんな彼らが誰から何を受け取ることでこの<報復>に火が灯るのか。A4での彼らの巻き返しに期待しましょう……。

 

 

 

 

最後に

この記事ではA4に向けて考察を中心に予想をあれこれ詰め込んでみました。実際に撮影現場の盗撮写真を見るとかなり不可解な状況になっており、ストーリーがつかめそうでつかめません(まだ見たことがない方は Avengers 4 setphoto でググってみてください)。上に書いたこと全てが当たっていればもちろん嬉しいですし、ほかにも細かいですけど気になる情報もいくつかあったりしてそれらが当たっていれば最高に盛り上がります!監督のルッソ兄弟9月19日に「よく見て…」というツイートをしたのですが、

 (ルッソ兄弟は2015年7月からTwitterを利用しているのですが、過去一定期間の投稿が一斉に削除されたので、この投稿もいつみられなくなるかわかりません)

一説にはハシゴにMESEとイタリア語で「1か月」を意味する単語が確認できることから、「タイトル発表まであと1か月」という意図ではないかとのことです。IWの初予告編公開は2017年11月29日でしたが、まだタイトルが正式発表されないA4なのでIWと同時期のおよそ1カ月以内に、タイトルと予告編を公開するのではないか、と個人的に考えています。さてさてタイトルと予告編は別々に来るのか、予告編一つで両方一気に済ませるのか……。

監督も脚本家も勘の鋭いコミックファンたちの予想を避けようと大変だと思います……この記事に書いた内容がすべて当たっているということはないと思いますし、下手するとすべて間違っているという可能性もあります。とはいえ、これだけ膨大な予想合戦を引き起こすほどの映画がIW及びそれまでのMCUであり、その熱量の一端の記録として十分意味はあったと個人的には思っています。とにかく僕としてはサノスをフルボッコにしてもらいたいですね。それと長さ的にコラムのようになるかもしれませんが、IW,A4つながりでインフィニティ・ガントレットに関する記事を一本書こうかと考えてます。その記事でA4に向けて盛り上がれたらなーなんて( ・ω・)

これまでのMCUの完結編・一部のヒーローたちの終着点となるA4が、1年と経たずに来るのが何だかまだ早すぎる、そんな気がするんですね……。

【ザックを】なぜDCEUにこの男が必要だったのか【讃えよ】

※本記事はザック・スナイダーをひたすら褒め称えるものとなります。「彼の作品はちょっと……」という方はブラウザバックを、DCEUにも興味のある方などはこのまま読み進めていくことをお勧めします( ゚Д゚)y-~~

DCエクステンデッド・ユニバースDC Extended Universe (DCEU))は、アメコミDCコミックスに登場するキャラクターを主人公としたスーパーヒーロー映画の一群が共有する架空の世界、及びその作品群である。日本では「DCフィルムズ・ユニバース[1]」という呼称も用いられている。

2013年実写映画『マン・オブ・スティール』から始まり、2016年から2020年まで毎年2作公開の製作予定が発表されている[2]

 

概要[編集]

様々な「DCコミックス」の実写映画化作品を、同一の世界観のクロスオーバー作品として扱う作品群である。映画雑誌エンパイア』の2015年9月号の中で、この架空世界の名前が「DCエクステンデッド・ユニバース」であると明かされた[3]DCコミックスのスーパーヒーローたちが作品の枠を超えてチームを結成する『ジャスティス・リーグ』(コミックでは1960年初出)の映画化を目指して企画された。

出典:DCエクステンデッド・ユニバース

 

DCコミックスアメリカン・コミックスの元祖ともいえる出版社であり、スーパーマンバットマンといった誰もが知るようなキャラクターはここから生まれています。マーベル・スタジオはDCコミックスの後輩であり、2社はライバル的な関係にあります、2008年にマーベル・スタジオがパラマウント配給で公開した『アイアンマン』を皮切りにスタートしたマーベル・シネマティック・ユニバース、計画を発表した当初は「うまくいくわけがない」「無謀」と評されるような代物でしたが、繰り出される作品の数々はどれも人気を博し、今やMCUは大成功を喫しています。その人気ぶりは世界的に知られるスター・ウォーズに肩を並べるほどであるといっても過言ではないと思います。一見別物に見える作品の数々が実はつながっており、一つの大きな世界が構成されていく手法は「シェアード・ユニバース」と以前から言われてきました。MCUはそのシェアード・ユニバースを、金と時間がかかる一発一発がでかい映画の単位で成功させました。それに目をつけた数々の映画製作会社、今や様々なユニバースが生まれています。

映画製作の原作となるコミックスではDCの方が歴史は長いですが、実写化においてはMCUの後を追うような形でDCEUは成立しています。今やインターネット上のメディアによって、映画の製作期間中から監督へのインタビューや撮影現場の盗撮画像、リーク情報に至るまで様々な情報が知れ渡るようになりました。MCUは基本的に順調な知らせばかりですが、DCEUは不穏な知らせも相次ぐような現状です。ユニバース商法では、どの作品をつくり、いつ公開するかというスケジュールを綿密に検討した予定表が命です。MCUは大きな変更はあまりないまま計画通りに製作が進んでおり、評価も上々です。DCEUは現在5作品が公開されていますが、製作は波乱万丈であり評価も割れています。また、後からポッと新しい作品の企画が浮上しては何の音さたも無くなる……という事も珍しくありません。

そんなDCEUの礎といえる人物がザック・スナイダーザック・スナイダーが監督した『マン・オブ・スティール』『バットマンvsスーパーマン』『ジャスティス・リーグ』はそのどれもがDCEUにおいて重要な役割を担っており、この3作によって描かれたヒーローたちがDCEUにおける主要キャラクターであることから、彼らを撮ったザック・スナイダーはDCEUの創造主ともいえる立場です。

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BvSで顕著に表れたのが、彼の作風に対する風当たりです。そもそもこの作品自体、DCEUの2作目にして世界観の拡大に向けて様々な要素が詰め込まれた挑戦的な一本です。興行的にはヒットを記録し、それどころか5作品が公開されているDCEUでは(2018年3月現在)トップの興行収入ですが、問題は作品に対する評価です。特に批評家たちからの意見がよろしくありません。「スーパーマンが出ているのに暗すぎる」「詰め込み過ぎて作品として成り立っていない」……などといったレビューが、BvSの批判的なレビューの代表的なものでしょうか。

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JLの記事で書きましたが、僕はMoS,BvSの2作を共に問題なく楽しんでおり、ザック・スナイダーが敷いたレールに沿って形成されていくDCEUの大ファンです。基本的に好評なMCUに比べ、意見が割れるDCEU。人によってはザック・スナイダーを戦犯と形容することもあるでしょうが、そんな強いクセを持つ彼はDCEUにとってどんな人物だったのか。僕はザック・スナイダーこそDCEUに必要な人物だと思っています。僕には原作であるDCコミックスについてはさっぱりわかりません。原作と比較してどうこうなどとは語れない故、あくまで映画的な視点からとはなりますが。なぜ彼こそがDCEUにいなければならなかったのか、僕なりに感じる彼の魅力をお話していこうと思います。

ワーナー・ブラザーズに言わせる「誰もが知るヒーロー」たるスーパーマン。彼がエイリアンであるという設定は知られていなくとも、全身青タイツに赤マント、胸に輝くSのシンボル、空を自由自在に飛び回るマッチョメンといった特徴は、まさしく誰もが知るものです。彼はMoS,BvSでは主人公を務め、JLでは一種のマクガフィンとして機能。MoS,BvS,JLのスーパーマン・トリロジーがDCEUの根幹をなしていることを考えると、彼はDCEUの中心的な人物と言えます。

f:id:the-Writer:20180320083546j:plain彼の誕生と、ヒーロー「スーパーマン」としての駆け出しを描いたMoSは、過去作の雰囲気とは明らかに異なります。色あせたような色調、陰影がくっきりとついた映像、深いセリフの数々、壮大な音楽、現実世界に即したリアルな展開、絵画のようにキマったカット、全編にわたってシリアスな雰囲気など、現代のスーパーマンとして彼はスクリーンに蘇りました。

正直これらは「トーンが暗い」「しみったれた雰囲気」と言われても仕方がないかな、と思います。そしてこの雰囲気は続編のBvSにそのまま受け継がれ、20年もゴッサム・シティの自警活動を続けて疲れ切り、乾いた憎しみを抱えて希望を失っていたバットマンが参戦したことで、批判はさらに大きくなりました。最終的にそれに業を煮やしたワーナー・ブラザーズによる「明るい」政策に基づく改革がJLに入り、本来の作品の路線からは大きくそれたことはJLの記事で書いた通りです。

上記に挙げた特徴の数々は全てザック・スナイダーが意欲的にDCコミックス実写化作品に取り入れたものです。以前、ザック・スナイダーMCUについて言及したインタビューでMCUで続々と実写化されていく「○○マン」といったヒーローたちを批判しつつ、「僕らは神話を作っているんだ」と語りました。MCUについての発言はMCUファンや俳優から反発を買いつつも、彼の志に関する発言こそが彼のDCEUに抱いているヴィジョンであると思われます(正直あの発言に関しては「ザック余計な事言うなや……」と閉口しましたが)。カラフルさに欠け、基本的にシリアスな雰囲気、キマっているカット。これらの要素が絡み合う事で、一連の物語は非常に密度が濃いドラマとなりますが、便宜上これをまとめて「神話っぽさ」と呼びましょう。

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僕はこの「神話っぽさ」は、少なくともDCEUの序盤には必要なものであり、ザック・スナイダーにしかできないことだと思いました。彼の「神話っぽさ」は彼にしかできない。僕はその「神話っぽさ」がDCEUというユニバース、ワーナー・ブラザーズのドル箱に必要な要素だと思います。今やMCUに続いて、ダーク・ユニバース(ユニバーサル),モンスター・ユニバース(レジェンダリー)といったユニバース物が立ち上がっています。さらに激化していくハリウッドで、DCEUには何かこれだ!という決め手、強い武器が必要です。僕はそれが、「神話っぽさ」だと思うのです。

 

 

「シリアスさ」の正体は、観客とキャラをつなぐ橋である

尤も、これだとDC=ダーク・シリアスという認識を生み出しかねません。というより、既に出来上がってしまっていると思います。批判が示す通り、この雰囲気はとても万人受けするものではありません。しかし、そのいわゆるダークさにもしっかりと理由があると思います。

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ダークと称される個所は、色あせた色調以上に、恐らく登場人物たちの葛藤する個所かと思われます。なぜ現代のヒーローたちは葛藤するようになったのか?それは葛藤する登場人物には観客が感情移入しやすくなるからだと思います。葛藤を描くという事は、登場人物の心理的な動き・迷いをじっくりと描くという事です。その思考のプロセスを丁寧に追って描くことは、観客がその登場人物の思考及び行動を追い、理解することで感情移入することを可能とします。それは、観客の心に残りやすくなる。

IMAXという壁一面がスクリーンになった劇場、VRで見る映画、そして『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が示した「これからは誰にでも主人公になれる」というメッセージ。今や映画はただ見て楽しむことから、(徐々にではありますが)観客が映画と一体となって楽しむ方向性への変化を感じます。また、今の時代はスマホの普及などのデジタル化によりあらゆる情報や思想が飛び交う社会となりました。特に、その中で育つ子供たちが生きる世界とは、彼らの親の世代からすら、様相がかなり異なるはずです。DCEUがおそらくターゲットとする思春期の子供たちに、心の支えとなる存在を。身近に感じてもらうために、あの様な仕上がりとなったのではないでしょうか。

スーパーマンを例にとって考えてみましょう。ザック・スナイダーMoSで描き出したスーパーマンを筆頭とするクリプトン人の力は絶大なものです。彼らは超スピードでの移動、音速を突破した速度での飛行、どんな衝撃もほとんど受け付けない頑丈さ、挙句の果てに両目から打ち出すヒートヴィジョン。コミックの強さをそのまま現実世界に反映させた結果、都市のビル群が次々に破壊されてがれきと化していく映像はとても印象的です。言ってしまえばチートですよね。

そんなパワーを持つ人物が、最初からあまり苦悩せず、順調に恋をし、人助けをする笑顔が素敵なナイスガイだったら?そのような明るい雰囲気は、確かに誰でも楽しめるでしょうが、映画を楽しむ深みが損なわれると思うのです。この非現実的な強さを大真面目に実写化する代わりに、その人物は観客と何ら変わりない葛藤する人間であるというギャップ。ある意味カウンターウェイトであり、実在しそうなリアルな人物としてのバランスがとれます。これによってスーパーマンというコミックのキャラクターはただのフィクションのキャラクターではなく、実際に悩み、傷つきながらもヒーローに成長していく一人の人間として、観客の心に残るのです。

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クリプトンの息子、クラーク・ケントは人間らしい泥臭い葛藤を乗り越えていく事で、往年のコミックで描かれたような笑顔がまぶしいみんなのヒーロー、スーパーマンへと成長していきます。このじっくりと描かれる過程は、その変化こそが美しいのではないでしょうか。こうしたリアルな心理描写をなされたキャラクターと、VFXを駆使したいかにもコミックらしいダイナミックな映像の組み合わせが、DCEUをDCEU足らしめていると思います。アイデンティティーと言っても過言ではないでしょう。

 

 

映像が美しいザック

次に、ザック・スナイダーは非常に画づくりにこだわる監督です。職人といっても良い。2人の人物が会話するシーン、映画ではよくある状況であり、通常2人の顔を映して交互に切り替えていく方式だと思います。また、照明も背景に当たってフラットな印象を与えることもあります。しかし彼は、会話シーンですらこだわります。

f:id:the-Writer:20180320131334p:plain表情はいわずもがな、人物の配置や照明で付けた陰影により、人物の置かれている状況や心境を現しつつ、それだけを切り取ってもこだわりのあるカットになっています。個人的に、彼が撮った映画は全編にわたってどのカットも余すことなく、構成的に美しいなあと感じますね。先に書いた、「ダークさ」「シリアスさ」に輪をかけているのが陰影をくっきり付け、色あせたような色調です。しかし僕は彼は何でもかんでもむやみに色調を落としたり暗めに撮っているわけではなく、しっかりした理由があるからこそそのような撮影を行っていると思います。MoSは色あせていると言われても仕方がないような映像ですが、BvSでは撮影監督のラリー・フォンの働きもあって暖色系のベージュ的な色調が印象的です。そして、JLでは僕が「彼はむやみにダークな映像を撮らない」と述べた根拠となる考えを抱いていたことがわかります。

「ザックはとても優しく話しやすい人でした。彼は原作のコミック本とキャラクターたちの大ファンで、その世界について深い知識を持っています。プロダクションに対する彼の全体的なアイデアを1時間ほど聞き、その映像の実現に向けて進めていきました。一連の他の作品のような、様式化して彩度を落とし、コントラストを強くした映像は避けたいとザックは考えていました。僕は自然な照明を好むタイプなので、その考えは僕の作品の価値観にぴったりでした。『ジャスティス・リーグ』を35mmフィルムで撮影するのはすでに決まっていたことで、僕は何年もフィルムでの撮影をしていませんでしたが、期待に胸がふくらみました」とワグナーは続けました。

出典:映画『ジャスティス・リーグ』の自然派のルック、及びVFXやCG制作を支えたコダックの35mmフィルム

ダークと称するのは簡単ですが、僕はこれによって作品に決定的な印象付けを行うことができる上に、非常に見ごたえのある映像に仕上がっている、と思います。照明と陰影にこだわった映像は、人物の顔の表面の凹凸から背景となる舞台まで、どこに目をやっても飽きないような仕上がりです。平たく言うなら、奥行きのある映像となり、一回見たらそれで終わりといった映画ではなく、何度観ても満足度が高い仕上がりとなっていると思うのです。

そうした仕上がりによって後押しされるのが、僕が何度も述べている「キマッている」カットの数々。他作品では見られない、「うぉーーーっっあぁぁ!!」と盛り上がり度合いが群を抜くのが彼の特色であると思います。今までじっくりキャラクター達の思考と行動、それによって生じる物語の流れをカメラで追ってきた後に、いざコミックをそのままトレースしたかのようなかっこいいカットが映るのは彼の醍醐味と言ってもいい。アツい場面ではコミックのようなカッコよさを、悲しい場面では絵画のような美ししさを。アニメや漫画でしかできないような構図を、まさかの実写でそのまま再現する辺りに彼の監督としての見事な腕前と確固たる意志を感じますし、彼はそれをどのタイミングでぶつけるのがベストかもよくわかっているのではないかと思います。

\うおおおおおおおおおおおお‼‼/

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また、彼の持ち味としてアクションシーンも外せない。この点に関しては彼は天性のアーティストでしょう。積極的に戦いの舞台となる場所の特徴を利用することで、コミックのキャラクター達のパワーを示す。自由自在にフィールドを駆け巡るカメラでキャラ達の印象的な動きを捕らえる。アニメやゲームの映像を、VFXを駆使してそのまま実写化したようなダイナミックな映像は見事の一言に尽きます。普通はやらないようなこうした映像づくりを大胆に映像化に持っていく彼の決断と手腕はいやはや舌を巻きます。ザック・スナイダーが撮る映像は、照明によって陰影がくっきりとついて深みが出て、こだわりの色調調整によって美しく雰囲気を醸し出され、フィルム撮影による顆粒感ある仕上がりとなっています。僕は特に西欧の建築や絵画といった美術に興味は特にないですが、このように重厚感溢れる映像で紡ぎ出されるDCEUのヒーローたちの物語には惚れ惚れとしてしまいます。

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ストーリーテラーとしてのザック

画づくりに加え、もう一つ外せない点があります。ザック・スナイダーは何もただ任せられたから映画を撮る仕事人ではありません。特にBvSの舞台裏映像である、彼へのインタビューをみるとわかりますが、ザック・スナイダー自身がDCコミックスの大ファンです。彼のDCコミックスに対する造詣は深く、唯一無二のヴィジョンを築き上げています。そんな彼が指揮を執ってスクリーンに映し出す世界観は非常にユニークです。僕は彼が優秀なストーリー・テラーでもあると思うのです。MoS, BvS, JL……急速に拡大していく世界観と唐突な衝撃展開は、MCUに比べると非常に駆け足で無茶な展開であると思います。しかし、そんな無茶の中にこそ、ザック・スナイダーはストーリーを見出し、大まじめに取り組みました。

f:id:the-Writer:20180320084324j:plain希望の象徴であるスーパーマンは、充実したトリロジーを通してスーパーヒーローへと成長していきます。MoSでは誕生とはじまり、BvSでは挫折と死、JLでは復活と完成というように。その中でもこれまで5つも作られてきた実写化作品ではやらなかったような、スーパーマンの新しい一面が開拓され、彼一人で非常な密度を誇るキャラクターです。人間らしい葛藤を抱えつつも飛び回るスーパーマンは、煮詰まった怒りと絶望を抱えて老いバットマンへの転換期となりました。

f:id:the-Writer:20180320140937p:plainブルースにとって、スーパーマンとは初めはそのやり場のない鬱々とした感情の掃き溜め・永らく見失っていた生きて戦う目的になりました(少なくとも僕はそう思っています)。しかし、執念でスーパーマンに対してほぼ勝利をおさめかけたところ、スーパーマンの発した一言が彼のバットマンとしての起源の記憶を呼び覚まし、それをきっかけに様々なものを再び得ます。彼の人間性、自分の責任、そして人類を守る使命など……そうして彼は長かった日陰からようやく日の元へ踏み出すこととなりました。

f:id:the-Writer:20180320141106j:plainそして、ダイアナも何も知らなかったセミスキラの少女時代から、大勢の人間たちの想いが渦巻く人間界へと飛び出して現実を知り、「暗黒の100年」で自分の正体と本当の自分を周りから閉ざしながら生きてきました。しかし、ドゥームズデイという絶対的な脅威との戦いに身を投じたことから、彼女もまた日向へ踏み出すこととなり、徐々に仲間を得る喜びと世界を守る希望を再び手にすることとなったのです。

まだ詳細は不明ながらそれぞれの試練にぶつかった過去を持つバリー,アーサー,ビクターもジャスティス・リーグの結成によって、今後たどる道筋は孤独でいるはずだった時から、よりよい方向へと大きく変わったことでしょう。

BvSはリーグの中心人物たちの邂逅の出来事であり、明るい明日への、正義の夜明けを迎えた瞬間の物語でした。そしてJLでは、それぞれの能力を備えた6人の超人が、逆境・谷・闇から這い上がり、出会い、影響を及ぼし合い、団結し、彼らの旅路が永遠に変わる事となりました。

これでもかなり大雑把な語り口になってしまいましたが、ザック・スナイダーが意図したスーパーマン・トリロジーはこのような感じであると思います。これはもはやワーナー・ブラザーズが焦って立ち上げたMCUの後追い企画ではありません。スーパーヒーローたちの辿る壮大で興味深い物語≒神話、といってもいいでしょう。

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実際、それを体現する数々のキャラクター達は知名度云々ではなく、豪華なキャスト達によって構成されています。ヘンリー・カヴィルベン・アフレックガル・ガドットエズラ・ミラージェイソン・モモアレイ・フィッシャーなど……この6人だけをとっても外見と演技に特徴がありながら、非常に役柄にハマったキャスティングだと思います。もはや本人そのものであり、特にカヴィルやガドットの顔は西洋の彫刻を思い起こさせるような美しさであり、ザック・スナイダーの目指す「神話っぽさ」を体現する顔だと思います。そして彼ら一人一人のコスチュームも素晴らしい。MCUのヒーローたちはコミックのデザインを「もしも現実に合ったら」という方針でリアルに落とし込んでいますが、DCEUはリアルに落とし込んでいるものの、どちらかというとその特異な意匠は残しつつ、それを極限までリアルにかっこよくアレンジしているように思えます。一見原作コミックとはかなり違うような実写化デザインでも、細部までこだわりぬいた複雑でかっこいいコスチュームは、そのゴージャスさによって「神話っぽさ」を更に後押しします。

 

漫画や小説の実写化作品について、「何が正しいのか・どうするべきなのか」という実写化作品の哲学に関して僕はまだ答えは出せてはいないですが、DCEUは非常にユニークです。よって、このいわゆる「ダークさ」を「こんなのDCコミックスじゃない」と批判する方もいるでしょう。僕は原作のDCコミックスにはさっぱり知識が無いので、原作と違うといった批判にはどうにも何も反論できないというのが現状でしたが……「僕が精通している作品が映画化され、一見原作とはまるでかけ離れているようなものの、映画はしっかりと原作から独立した魅力を備えており、一本の作品として面白い」……そんな例が実は僕にもありました。東映スーパー戦隊です。

2017年公開のディーン・イズラライト監督による『パワーレンジャー』は、同じくシリアスっぽい雰囲気であり、更に基本中の基本というかスーパー戦隊のお約束というべき「変身!」といった掛け声や必殺技すら存在しません。それでもこの作品が面白いのは、パワーレンジャーとなる5人の高校生たちに寄り添い、彼らの掛け合いを徹底的に描いたことによると思います。メインと目されたスーパー戦隊らしい描写が意外と少なくても、一本の魅力的な作品として確立しました。

実際、JLスナイダー・カットを求める署名運動の発起人であるRoberto Mata氏も、幼いころよりDCコミックスの漫画やアニメにどっぷりと浸かった日々を過ごしており、原作によく精通している人物であると思われます。しかし彼はDCEUをとても楽しんでおり、「明るい」政策の下大きく作り直され、一見すると原作に忠実な仕上がりとなった劇場版JLに満足いかずに、上記の署名運動まで起こすほどでした。あくまで一個人の感性ではありますが、原作のDCコミックスを熟知している人物が起こした運動は、既に17万人以上の人物の心に訴えかけるほどです。

そこまでさせるほどの映画を撮るザック・スナイダーは原作となるDCコミックスを深く理解した上で、ただの実写化に留まらない、唯一無二の魅力を持った作品を創り出してきました。改めてMoSをみてみると、思わぬところでBvSやJLにつながる個所があったりして、彼が確固たるヴィジョンを持って製作に取り組んでいたことがわかります。ただスタジオが定めた計画に沿うのではなく、非常に深い本質的な部分でつながった壮大な三部作。こうして書いているだけでワクワクしてしまいますね。

 

以上に挙げたのがザック・スナイダーによって築かれた物語であり、僕はそれが非常に好きです。特に数々の挑戦的な展開を詰めに詰め込んだ充実の問題作BvSは僕の心の一本の一つと言ってもいい。スーパーヒーローの物語は基本的にフィクションであり、楽しい勧善懲悪の物語です。よってスーパーヒーローの物語現代の民話と言えます。

そんな人知を超えた力による、一見爽快な活劇の根底・核に大切なメッセージが込められているのなら、それを神話として描こうとするアプローチは間違ってはいないと思います。しかし、DCEUがいつまでもこの方針でいくことはできないし、僕も実際そうなるべきではないと思います。やはり長期間存続し、人々の興味に訴えかけていくには何らかの変化が必要であり、ザック・スナイダーが敷いたレールはいつかは終わりを迎えるときが来ると思っています。もしかすると、それがJLスナイダー・カットなのかもしれない。

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ザック・スナイダーが築き上げた世界は、一見伝統的な原作コミックのそれとは異なり、原作はあくまでインスピレーション元として、その本質をくみ取りつつ唯一無二のDCEUとして出来上がりました。JLで一旦完結を迎えたDCEUは、今度から今までよりも原作を取り入れていく方針に向かっていく気がします。一見原作から異なるような複雑でリアルなデザインが、徐々に原作のコミック調のそれに近づいていくように、JLでDCEUはやっと日の光を浴びる時期に到達しました。これからはDCコミックスが元から掲げていた楽観・希望といったテーマをよりストレートに表すことができるでしょう。

神話を目指して濃厚な画を撮るザック・スナイダーの起用は、DCEUの一風変わったキックスタートでした。JLまでで、DCEUは基本的に押さえておきたいところは構築が完了しました。そしてより多くの原作ファンが満足できるような希望が詰まったDCEUは、ここから始まるザック・スナイダーは一見すると超人的なパワーを持つキャラクター達をじっくりと描くことで、その存在と彼らの下す決断に十分なリアリティを与えてくれました。そうしてじっくりとヒーローまでの道のりを描くことで、これからはよりコミック然とした明るく楽しい冒険も可能となります。とはいえ、それも唐突に明るくし過ぎると、MCUとの区別がつかなくなり、DCEUはその意義やアイデンティティーを見失い、競争において自らの首を絞めることとなりかねません。ザック・スナイダーの築いた「神話っぽさ」をどれだけ作品に盛り込んで、DCコミックスとして、DCEUとしてのバランスをとって成立させるかは個々の監督にかかっています。

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非常に個性的な作風を誇る彼ですが、彼を迎え入れるという決断も、そして彼が批判にとらわれ過ぎずに彼なりに全力を尽くしてくれたことは非常に喜ばしいです。スーパーマンイエス・キリストになぞらえて描いたり、どんなシーンであっても撮影をテキトーに済ませずに美しい映像として仕上げるなど、彼の職人魂や語り手としての才能には舌を巻いてしまいます。あれだけの「カッコつけ」を全力でやり切ってくれるクリエイターは他に居ないでしょうし、実際彼が大きな役割を担ったDCEUは追及のし甲斐がある非常に濃い世界になりました。だからこそ、僕のようなファンの心を魅了してくるのです。ザック・スナイダーの名のもとに精力的に映画製作に携わってくれた数々のクルーの方々にも感謝が絶えません。これだけ夢中になれるシリーズを創り上げ、提供してくれてありがとう、ありがとう……そんな感じです。

 

 

 

 

 

DCEUにおけるザック・スナイダーの魅力でした。彼が映画製作において発揮する個性は強烈なものですが、それがDCEUに符合し、この競争が激化する業界で生き残るための方向性を示してくれたと思ってます。ワーナー・ブラザーズが一度JLでやろうとした「明るい」方向性なら万人受けはするでしょうが、それを行うタイミングや方法を誤っってしまったのではないか、と思います。実際、JLは興行収入はシリーズ中最下位という不本意な結果に終わっています。

先に書いた通り、ザック・スナイダー自身がDCコミックスのファンなので、彼は独自のスタイルに従って映画を作りつつ、ファンをしっかりと大切にしていると思っています。この「神話っぽさ」は「明るい」方針よりもウケる人数が少なくなりますが、非常に特徴的で密度が濃い分、それだけファンの心に残り、また新しいファンの芽を育てるでしょう。実際にこの記事を読んでくれた方が、MoSやBvSを少しでももっと好きになってくれれば本望です。僕は何もザック・スナイダーの信者、つまり彼の作品をすべて鵜呑みにするほどの大ファンかと言えばそうでもありません。実際まだ『300』は観ていないですし、以前『ウォッチメン』を見た時には途中で挫折しました(;´・ω・)

もう何度も同じことを言っていますが、彼は自分のスタイルを自覚したうえで、DCコミックスのヒーロー達をスクリーンに蘇らせる際に自分のやるべきことをわかっており、それを実行する力があります。そんな彼が思い切り手腕を振るった世界観は僕を虜にし、心の支えともなるほどです。僕は、ザック・スナイダーが作り上げてくれた、DCEUのヒーローたちが大好きなのです。

削除シーンがメガ盛りMAX!!『ジャスティス・リーグ』のザック版は3時間あってもおかしくない

今この記事を読んでいる方は、大なり小なりオリジナルの『ジャスティス・リーグ』を求めている方だと思います。その前提のもと、今回は例の「スナイダー・カット」について更に話を進めていこうと思いますね。

(まだ前回の記事を読んでいない方は、↓を読んでから今回の記事を読み進めることをお勧めします)

前回の記事で、スナイダー・カットが存在することが証明されました。その証明を書くのに大いに参考にさせてもらった「JLのザック・スナイダー・カットはあなたが思う以上に出来上がっていた」という記事は、某人物からの情報提供によってその情報を知るに至りました。また、その方による情報提供はいくつかありましたが、その二つ目とは「ワーナー・ブラザーズの内通者がオリジナルのJL(=スナイダー・カット)のラフカットを見た」という記事です。その記事をよく調査したところ、その情報のソースはSuperhero Talk SiteというファンメディアのHaroon Shareef氏によって書かれたものでした。

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このShareef氏、それ以外にもかなり興味深い記事をいくつか書いています。今回の記事では「ラフカットを見た」含め、計3つの記事を訳しつつ、その内容をお伝えしようと思います。かなり長くなる上、前回と違ってソースがソースゆえに100%本当とは限りません。それを了承できる方のみ、貴重な情報が大量に詰まった記事として受け止め、読み進めていただければと思います。

 

 

削除シーン一覧:ワーナー・ブラザーズ内通者がShareef氏に伝えた内容

第1にお伝えするのは劇場版にはなかったシーンの数々。2017年11月19日に投稿されたその記事は劇場版を基準に、削除されたシーン・長かったシーン・異なるシーンの3種類に箇条書きにして記していました。製作関係者の証言ではなく、「内部に居る人間によれば」という類の話なので、絶対に正しいという事は保証はできません。しかし今や少なくともスナイダー・カットは事実上存在することが判明しているので、こうして書き進めていく次第です。

ソース:ザック・スナイダーの『ジャスティス・リーグ』から削除されたシーン

ワーナー・ブラザーズの幹部に向けて、オリジナルのJLのラフカットの試写会が行われたそうです。以下そのスナイダー・カットから劇場版に至るまでに変更されたシーンを書いていきますが、劇場版から削除されたシーンを「削除」・長かったシーンを「延長」・そもそも展開が変更されたシーンを「変更」と記します。また、補足としてイメージしやすいように、記述と符合するザックが撮ったと思われるシーンの写真も添えますね。

 

f:id:the-Writer:20180228150433p:plain延長:映画はブルースがアクアマンをリクルートするところから始まる。劇場版とは基本的に同じシーン。セリフのいくつかがウェドンによって加えられ、ザックのが少しカットされた。アクアマンはブルースに対し、劇場版よりも反発気味で己を閉ざしていた

削除:バリー・アレンはアイリス・ウェストがいると知って図書館を訪れる。彼女に話しかけようとするも、どもって赤面する。「今日の所はもう父さんに会いに行く」と言う。アイリスは彼のそんなおどおどしたところが好きだが、彼がそこまで特別だとは思っていない。バリーがアイリスにかっこいいところをみせようとして指で窓ガラスを割る(観客は初めてバリーが能力を使うのを目撃する)。アイリスとその他大勢がその破壊に驚くと、バリーはただ「ガラスが弱かった」と言って立ち去る

f:id:the-Writer:20180228152141p:plain延長:ダイアナによる歴史の授業。ワーナー・ブラザーズは劇場版からグリーンランタン、ゼウス、そしてアレスまでもがセリフをカットし、内通者は劇場版を観て驚いた。彼ら一人一人には数行分のセリフが当てられていた。あとアンティオペとヒッポリタも。どうやらアクションだけに集中するため、劇場版はセリフは全カットのようだ。

f:id:the-Writer:20180228142844p:plain削除:セミッシラからマザーボックスを奪還した後、ステッペンウルフはボックスに実際に「語り掛ける」。ステッペンウルフの母「マザー」であるヘッグラの本質は3つのマザーボックスの中で生き続けている。それらすべてを集め合わせれば、彼女の力は開放される。その力はステッペンウルフのボスであり、甥であるダークサイドを超えるほどのものである。それを得る事こそが彼の元々の計画だった。ヘッグラに語り掛けるシーンのセリフが予告編に使われていたから、ワーナー・ブラザーズはこのシーンは残しておくだろうと思っていた。「守るものはもういない。ランタン共も。クリプトン人も。この世界は陥落する。マザー、あなたは自由になる」

f:id:the-Writer:20180228142810p:plain削除:サイボーグの生前の暮らし。彼はフットボールの試合で活躍し、母(彼女もキャスティングされていた)がそれを観戦している。その後、車で帰路に着く。ヴィクターは父が最後まで姿を見せなかったことに対して怒っており、母がそれをなだめようとしている。ヴィクターは更に怒り続けて母に食って掛かり、車のコントロールを失い、事故を起こす

f:id:the-Writer:20180228150314p:plain延長:ゴードンのシーンは、劇場版にはなかったちょっとしたシーンがあった。ゴードンは薬物中毒者を開放して軽く声をかけてやり、その後警官がパラデーモンを描いた絵を持ってくる。彼とリーグの会話ももっと長かった。まず、ワンダーウーマンに「彼女がロンドンでの報告で何度も登場する女性なのか」と聞く。その後、サイボーグに「どうやって物を食べるのか?そもそも食べる必要があるのか?」とも

f:id:the-Writer:20180228150350p:plain削除:ステッペンウルフによるアトランティス襲撃後、アクアマンは彼が次に何をすべきかをメラや相談役のヴァルコ(注釈:ウィレム・デフォーが演じる)と相談する。メラとしては「Ormが信用できない」との理由から、彼に王になってほしい。ヴァルコは彼の心の声に従ってほしいと言う。アクアマンは、地球の人々の助けるべきという責任を感じていると告白する。

f:id:the-Writer:20180228142930p:plain削除:ステッペンウルフとゴッサム地下で交戦した後、リーグがバットケイブを訪れる。アルフレッドはリーグのメンバーに対してそれぞれユーモラスなリアクションを見せる(注釈:アルフレッドのリアクション映像がリークされた。僕も見た事があるのでその内容を書くと、ワンウー→励ますようにポンと腕を触られたので微笑む・サイボーグ→一瞬ポカーンとなってフーと息を吐きだして彼なりの驚きを示す・バリー→めっちゃ手を振ってくるからニッコリ笑いながら手を振り返す・アクアマン→丁度映像が途切れたため不明)。ブルースは以前見た悪夢“Knightmare”(注釈:BvSでブルースが見た意味深なアレ)について、リーグに向けてその内容を語る。そこから考えて、ブルースはステッペンウルフがスーパーマンの力を求めて蘇生させると踏んでいる。「邪悪なクリプトン人と戦いたくなければ、奴より先にやるしかない」

変更:スーパーマンの復活が可能だった理由はただ一つ、サイボーグがスーパーマンの肉体に異星由来の遺伝子物質、コデックスを感知したから。これがスーパーマンを呼び戻すことが可能となる最後の決め手となる。その後の蘇生の流れはほとんど同じ。

削除:デスストロークがレックスを脱獄させる。警察の追跡があるので「予め話し合った地点」で合流すると決めた後、その場は一旦分かれる。

f:id:the-Writer:20180228143017p:plain削除:ケント農場。復活したクラークはリーグ相手に暴れまわった後、ロイスをここに連れてくる。しかし彼は何が起こっているのか理解できず、ひどく混乱している。傍観者たちが彼を見て写真を撮っている。彼は更に混乱し、実際にヒートヴィジョンでその市民たちを攻撃しようとしてしまうが、ロイスは何とか彼を落ち着かせることに成功する。クラークが「声が黙らないんだ」とロイスに言う。その後、既に家にいるクラークとロイスのところにマーサが来る。クラークはさっきよりは落ち着いたが、まだとても混乱している__彼の能力の制御が付かず、感覚が高まりすぎている。マーサは「世界を海だと思って。私の声を追って、戻ってくるの」とアドバイスを与える(MoSで幼いクラークに与えたアドバイスのリプライズ)。それによってクラークはようやく落ち着いた。その後、クラークはシャツを着て平原でジョナサン(MoS,BvSから引き続きケビン・コスナー)を目撃する。クラークは会いに行く。ジョナサンは「本当の自分を受け入れる」ことについて語る。彼はクラークに「自分が何者か、それに折り合いをつけるんだ。お前がどんな人物であれ、世界を変える力を持っている。正義の人物としても、悪としても」ロイスも出てきたとき、クラークは自分の一部としてスーパーマンを受け入れる。クラークは婚約を確かめ、ロイスはついに「自分が十分に強くなかった」と感情があふれ出す。その時、マーサも出てくる。クラークはリーグを助けることを決意し、その場を飛び立つ。内通者の観たバージョンではこうであり、いくつかのセリフは多少は補ったかもしれないが、基本的にはこんな感じだったそうだ。

f:id:the-Writer:20180228145932j:plain削除:クラークがアルフレッドに会いに行き、スーツを獲得する(注釈:この映像はVFXや音楽まで映像として完成した状態で、円盤に特典映像として付属している)

削除:ステッペンウルフとヘッグラの二度目の会話。彼はついにすべてのマザーボックスをそろえ、三位一体によるヘッグラの復活が始まる

変更:スーパーマン復活後のブルースとダイアナの会話。ダイアナが来てブルースの脱臼を治す。ブルースは世界を救うため、自らは死のうとしていることを明かす。「自分がこれまでしてきた事を考えるなら、自分は死ぬべきだ。何も、たとえスーパーマンへの憎しみですら自分が行ってきた殺人行為を正当化することはできない」ダイアナは「彼はもう変わった」と言うが、ブルースの自分の命を犠牲にすることで、やっと罪を償えるという意志は固い(注釈:ダイアナの「彼」がブルースなのかクラークなのかわからない。原文における鍵カッコに相当するクオテーションマークが記載ミスか?)

f:id:the-Writer:20180228143801p:plain変更:最終決戦においてブルースのバットモービルは死への一直線を突き進むが、そこにワンダーウーマンとアクアマンが介入して助ける。彼らは戦死は何にもならず、生きて戦い続けることこそが必要だという。

変更:スーパーマンもついに戦闘に参加し、リーグと連携。しかし、ここでステッペンウルフがスーパーマンを自分たちの軍勢と手を組むよう誘惑しようとし、スーパーマンにヴィジョンを見せる。悪夢”Knightmare”の映像がいくつか入っており、そこで(観客は初めて)ダークサイドの姿を目撃することとなる。しかし、スーパーマンはそれをはねつけ、ステッペンウルフに最後の一撃を食らわせ、倒す。

削除:惑星アポコリプスでステッペンウルフはダークサイドによって処刑される。ダークサイドは「クリプトン人に合う」ため、地球へ向かう決意をする(ただし、このシーンはザックがいる段階で早々にカットされた)

f:id:the-Writer:20180228144104j:plain削除:村の沿岸で、アクアマンはメラと合い、アトランティスへと戻ることにする。バリーは図書館に行き、アイリスは彼にかわいらしく微笑む。

f:id:the-Writer:20180228145752p:plainもう一つのエンディング(1):サイボーグが3つのマザーボックスを引き離そうとし、ヘッグラはやめさせるために説き伏せようとしている。怒り狂ったステッペンウルフは彼をつかむと引き裂く。サイボーグはこれによって死ぬ

もう一つのエンディング(2):ブルースとバリーはビクターの「遺体」をバットケイブに横たえる。ブルースは彼の「彼の有機組織部は死んでいるが、彼の機械部を再起動させることができるかもしれない」という。バリーはどんな方法を使ってでも助けると約束する。

削除:ロイスはデイリー・プラネット編集長のペリー・ホワイトに「クラーク・ケント、またの名をスーパーマン」と紹介する(ペリー役のローレンス・フィッシュバーンは撮影のスケジュールが合わなかったため、姿は映されない)。

f:id:the-Writer:20180301141807p:plain削除:主要撮影で撮られたオリジナルのアフター・クレジット・シーンは、夜の湖畔の家で眠っていたブルースが緑色の光に起こされるというもの。グリーン・ランタン・コーズのトマ・レーとキロウォグの来訪である。ポスト・プロダクションの早い段階でカットされた

※もうひとつのエンディングは、試写を観た観客によるネタバレ防止用に挿入された

(注釈:サイボーグが最終決戦中に死んでしまったら、ラストのリーグ6人が並ぶシーンが撮れなくなってしまうじゃないか!と思いましたが、読み進めていくと「もう一つのエンディング」の説明がありました(; ・ω・) また、そのシーンでスローモーションでフラッシュとサイボーグが握り拳を突き合わせていましたが、それは「ザックが撮った」そうなので、それに従ってあのシーン全体もザックによるものとなりますね。実際、恐らくそのシーンの撮影の合間に取ったであろう写真も公開されています)

f:id:the-Writer:20180228163616j:plain

 いや~、2時間にまとめられた劇場版と比べるとファンが大満足しそうな充実っぷりですね。特にその立ち位置を理解しているかのように、BvSの直系の続編要素にとどまらず、改めてMoSのメッセージをクラークを真の意味でよみがえらせるために持ってくるのがニクい。確かに、この内容なら3時間に達しそうな勢いですし、それでも僕は喜んで観ると思います!

 

削除シーン一覧:ultracal31さんが伝えた内容 

第2にお伝えする内容は、ResetEraという掲示板のultracal31さんの投稿。同じくラフカットを観るに至った経緯をultracal31さんは述べていないものの、恐らく上記の内通者と同じくラフカットをどうにかして観られる立場の人物であると推測されます。

これはザックが撮ったジョスが加えたと細かく記述していますが、ここではあくまで劇場版からカットされたシーンのみに絞って書いていきます。

 

f:id:the-Writer:20180228144236p:plain削除:アパート内でロイスとマーサが話すシーン(注釈:ロイスのアパートか)

f:id:the-Writer:20180228150524p:plain削除:ステッペンウルフのセミッシラ襲撃時、パラデーモンの攻撃を食らったアマゾンの1人がパラデーモン化していく。彼女は変身が終わる前に自決した。その一連のシーンはVFXまで完了していた

f:id:the-Writer:20180301142313p:plain削除:自宅のアパート内でのヴィクターと父サイラスの会話はもっと長かった。ヴィクターは道行く人々を窓から眺めながら、彼らが送っている人生を羨ましく思っている

f:id:the-Writer:20180228144326p:plain削除:バットマンの”My turn”。予告編でも印象的な使われ方

f:id:the-Writer:20180228144400p:plain削除:ステッペンウルフの壁に叩きつけたワンダーウーマンに向けた攻撃がかわされて壁に当たり、建物の崩壊が始まる。外にいたS.T.A.Rラボの研究員たちにがれきが降り注ぎ、フラッシュが高速でそれらを退けるが、一つだけ取り逃がしてしまう。そのがれきが研究員に激突する寸前、サイボーグの狙撃で事なきを得た。

f:id:the-Writer:20180228152420p:plain削除:スーパーマン復活のためにクリプトン船に侵入するリーグ。サイラスがフェイクのコードレッドを発令して内部にいた人間を全員避難させることで、スムーズに侵入可能となる。また、アクアマンとフラッシュの会話があった

f:id:the-Writer:20180228152635p:plain削除:いよいよマザーボックスとフラッシュから生じる電撃でスーパーマンを復活させるとき。サイボーグがカウントダウンを行うが、BvSのブルースと同じくヴィジョンを見る。カウントダウンが1を切った瞬間に見えたそのヴィジョンは、可能性の未来として荒廃した未来、リーグの終焉、そして一瞬ながらダークサイドの姿も目撃する

f:id:the-Writer:20180228150840p:plain削除:復活したクラークが暴走してリーグと交戦するが、その時フラッシュがクラークに蹴りを入れようとする

f:id:the-Writer:20180228150915p:plain削除:3つのマザーボックスの融合=三位一体が始まり、赤く染まる空と生じる雷という異変に反応する世界各地の人々。マーサ、ロイス、サイラス、ゴードン、アクアマンが居た村の人々、ロンドンの市民など

f:id:the-Writer:20180228144457p:plain削除:中心にワンダーウーマンが着地、”Shall we?”

削除:最初はワンダーウーマンがステッペンウルフの首を切り落として戦いは終わるはずだったが、後に変更された。ステッペンウルフの死に方は何回か書き直されている

削除:……といっていいのか微妙。そもそも撮影されたのかどうかすらわからないが、ワンダーウーマン、スーパーマンバットマンのトリニティがブームチューブの向こう側にいるダークサイドの姿を目撃する

 

 

実はサイボーグも"Knighmare"をみていた

さて、本日第3にお伝えする内容。それはあるシーンの詳細な供述なのですが、その中心人物はサイボーグです。上記のultracal31さんの

削除:いよいよマザーボックスとフラッシュから生じる電撃でスーパーマンを復活させるとき。サイボーグがカウントダウンを行うが、BvSのブルースと同じくヴィジョンを見る。カウントダウンが一になった時に見えたそのヴィジョンは、可能性の未来として荒廃した未来、リーグの終焉、そして一瞬ながらダークサイドの姿も目撃する。

の個所ですが、それはいったい何を意味するシーンなのか。

BvSでブルースはルーサーの暗号を解読中に不意にみた不可解なものを見ました。バットマンである自分がレジスタンスのような組織のリーダーであり、荒廃した世界、あちこちから立ち上る文字通りの火柱、そして地面には巨大なΩのマーク……

f:id:the-Writer:20180228152521j:plainバットマンの異名であるダークナイト"Dark Knight"と悪夢"Nightmare"をかけて、この一連のシーンは"Knightmare"と呼ばれています。

ところで、Screenrantよりある削除シーンの絵コンテが公開されました。左から右へ、下向きに読み進めていくとわかりますが……

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今作のヴィランであるステッペンウルフの甥・惑星アポコリプスの支配者・いずれリーグと戦う最強の敵、ダークサイドが描かれています。これを見ると、3つのマザーボックスが三位一体を達成した場合、そのあまりにも膨大な力によって地球は一瞬のうちに滅亡に追い込まれるようです。それもBvSのKnightmareをより詳しく描いたようであり、JUSTICE LEAGUEと文字が刻まれた門?が埋もれ、リーグが壊滅している事もうかがえます。それがサイボーグのみたヴィジョンと符合する、という考察です。

f:id:the-Writer:20180228153243j:plainブルースがKnightmareをみた原因は不明ですが、「起こりうる可能性の未来」として、ダークサイドの侵攻を食い止められなかった・スーパーマンは悪に堕ちた・地球は支配されたという最悪の未来で、自分の最後の瞬間を追体験している事が推測されます。

ならば、JLでサイボーグがみるKnightmareも未来の自分の最後の瞬間と考えられます。だからダークサイドの姿を一瞬だけ目撃し、最後は悪のスーパーマンによって殺される……という流れが見えてきます。ちなみにKnightmare時の姿は通常時のそれと異なる事が、BvSで示されています。バットマンは通常スーツの上からコートとゴーグルなどを着込んでいました。後に公式に公開された画像により、フラッシュとBvS劇中には登場しなかったサイボーグのKnightmare時の姿まで判明しました。

f:id:the-Writer:20180228153222p:plain劇場版からはカットされましたが、サイボーグが丸く片目が開いた滑らかなフルマスクを装着するシーンがあります。それとKnightmare時の姿が似通っていることもあり、既にKnightmareへとつながる可能性が示唆されているのですね。

f:id:the-Writer:20180228153339p:plainそれが、マザーボックスを落とすカウントダウンが1を切ったわずかな瞬間に起こった出来事です。その時、スーツに搭載された補助用AIも同じものを見ていました。よって、AIは復活したクラークを分析し、将来の脅威になりうる存在としてヴィクターの意志を無視してまで排除しようとしたのではないでしょうか。

劇場版だと、クラークはまだあくまで何が起こっているのかわかっていないだけで、敵対しているわけではありません。それが、サイボーグの唐突な攻撃によってリーグ相手に戦うこととなりました。これなら劇場版よりかなり自然な流れとなるのですが……

しかし、このKnightmareシーンはブルースやヴィクターにその後の重要な行動の契機となっているものの、その発生原因が一切不明のままです。説明が期待されるのが、JL後に予定されているフラッシュの映画『フラッシュ・ポイント(原題)』です。製作が一進一退を繰り返していますが、最近3度目の新監督「たち」がこのプロジェクトに参加したばかりです。

同名の原作コミックではフラッシュが何らかの原因で元の世界線とはかなり違う展開を迎えた世界線に迷い込み、その解決に奔走する___といったあらすじです。いつごろ公開になるのかすらわかりませんが、2016年に広げた風呂敷にようやく決着がつくことが期待されてます……なんて少し脱線してしまいましたが(;´・ω・)

 

 

 

ステッペンウルフのリデザイン疑惑

完全に個人的な推測になってしまうのですが……ジョス・ウェドンによって大幅に作り直されたシーンがいくつか存在しますが、いまいち確証が持てないものの「やっぱり手入ってないかコレ?」というものもあります。

f:id:the-Writer:20180301143310p:plainステッペンウルフです。恐らくシーンのカットにすまされず、(スーパーマンの口髭と同じように)CGを駆使した大規模な変更がされたのではないかと思います。

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キーラン・ハインズのキャスティングが2016年11月に発表され、彼はこのキャラクターをモーション・キャプチャーを使って演じました。なお、ヒーロー側のキャストとは誰一人共演していないそうです。その姿が初めて映像中に登場したのは、2017年7月の予告編から。劇場公開までに顔が明確に映るものはほとんどありませんでした。

さて、なぜリデザインがあったのではないかという疑問がわいたのか?

根拠1としてBvSとデザインが違いすぎることです。僕も劇場で観ていてもほとんど気にならず、あとからじっくりJLの映像を観て気付いたのですが……BvS時の姿と比較してみました。

f:id:the-Writer:20180228145144j:plain確かに大柄で、二本角というおおまかなシルエットは守っているのですが、よく見るといろいろな点が違います。

BvS→角と一体化したような怪物然とした顔、全身に金属の破片が付いたような刺々しい体、人間離れしたマッチョな体形

JL→角はあくまで兜、顔は人間然としている、普通に鎧を着こんだような体、体形も普通

それに作中で説明された流れを考えてみるとおかしいです。太古の昔、ダークサイドに遣わされたステッペンウルフの軍勢が地球侵略に来た時の姿と、現代のスーパーマンがいなくなった地球に再来してきたときの姿が同じなんですよね。つまり劇場版のままだと、ステッペンウルフの姿は人間→怪物→人間というような変化をしてしまっていることになります。まあ、BvSと姿が違うことに対する反論として、あれはカットシーンだから正史には含まれないだとか、あれは通信用の姿(SNSでのアイコンみたいなもの)というのもあるにはありますが……

根拠2として「CGが雑ではないか」という感想。正直これは観た人の感性に依存するので、事実を立証するための根拠としては弱いですが……一部にはセリフに対して口が動いていないと指摘している方もいます。個人的には最終決戦時の背景含めて、2017年の映画にしてはCGが何とも残念なクオリティではないかと感じていました。

根拠3としてコンセプトアートとプレビズが公開されたことです。

f:id:the-Writer:20180228145309j:plainコンセプトアートはいかにもBvSのデザインを多少アップグレードさせたといった感じで、カラーが付くことでエイリアンとしての生っぽさも出ていますね。これだけなら、「あくまで製作の初期段階はそうだった」で済みます。しかし、2018年1月末になってVFXアーティストからプレビズ映像が公開されました。ご存じない方のために軽く説明いたしますと、プレビズとは簡易的なCGを使って撮りたいシーンをおおまかに再現したものであり、予め可視化することから、PRE-VISualizationと言われます。アニメ制作で言うと絵コンテみたいなものでしょうか。映画だとそれを視覚的にキャストやクルーに伝えてから、撮影および視覚効果を加えて映像を作っていきます。

f:id:the-Writer:20180228145453p:plainJLの製作に携わったVFXアーティストが突如公開した1分余りのプレビズ映像はステッペンウルフのセミッシラ襲撃・スーパーマンの暴走直前を合わせたもの。そこに映っているステッペンウルフは、まさしくBvSで見せた姿が命を吹き込まれたものでした。現在、その映像は削除されてしまっていますが僕もその映像を観ました。所々カットされているものの、一連の流れは劇場版と全く同じでした。

参考までにBvSの映像・JLのプレビズ・JLのコンセプトアート・JLの劇場版のステッペンウルフの比較画像を置いておきますね。

f:id:the-Writer:20180228145620j:plain根拠4として、演じたキーラン・ハインズが不満を漏らしていることです。『スーサイド・スクワッド』でもトリックスターとなる(はずだった)ジョーカーを演じたジャレッド・レトは、自分のシーンを大量にカットされたことに遺憾の意を度々示していましたが……

ソース:ステッペンウルフのキーラン・ハインズがディレクターズ・カットは劇場版よりも良いと語る
2017年12月に開催されたエース・コミコンに出席したハインズ氏にインタビューを敢行したところ、「私があれだけ一生懸命取り組んだのは、あの映画じゃない。ディレクターズ・カットを出してほしい、劇場で公開されたものよりも良いから」。また、その時の様子も「目に見えて不満そうだった」そうです。

 

では、ここまで読んだ方なら既に何となくお分かりかとは思いますが、僕の推測を書いていこうと思います。JLはザック・スナイダーが監督として続投しているので、BvSからそのまま繋がっているかのような作品となり、ステッペンウルフもその一環でした。キーラン・ハインズキャスティング発表時には「外見は少しアップグレードされる」と報道され、BvSのデザインは多少凶悪化する方針で映像化が進んだはずです。そして2016年12月、ワーナー・ブラザーズの幹部たちに向けてこのスナイダー・カットの試写が行われます。この時、幹部たちは「暗すぎる」「長い」などと感じ、それがステッペンウルフにまで及んだのではないでしょうか。

f:id:the-Writer:20180228165249p:plain(↑なんか怖いですね)

映画の縮小に伴ってステッペンウルフの目的は当初のものとはズレ、怪物然としたデザインは一から作り直しです。キーラン・ハインズが2017年6月からの再撮影に参加したかは不明ですが、彼自身の労力以上に大変な苦労を強いられたのが、視覚効果担当だったはずです。今まで2017年11月に間に合う予定に沿って複雑で筋骨隆々の体や表情を作っていればよかったものの、急な変更によって実質すべてパーになり、作業をすべてやり直しになったわけですから。実際の作業はどうなったのかと言えば、当然彼が映るシーンは全て作り直しですし、実は最終決戦は背景含めてほぼ一から作り直しという羽目になったのではないかとすら思います。

f:id:the-Writer:20180301144438p:plainf:id:the-Writer:20180301152601p:plainこの最終決戦なのですが、スナイダー・カットではブルーを基調とした色合いが、ジョス・ウェドンの指示によってレッドを基調とした場面に大きく変更されたのではないか、と踏んでいます。

(ザック・スナイダーの降板が正式に発表されたのが5月なので、それまでに出た2つの予告映像は100%スナイダー・カットの映像であり、貴重なアーカイブ集だと思っています)よって2017年5月以降に公開された映像は、多かれ少なかれジョス・ウェドンによる加工が入った映像が入り混じっていると考えられますね。

f:id:the-Writer:20180301145911p:plainf:id:the-Writer:20180301152452p:plain最終決戦に焦点を当てますと、3月の映像では青かった場面が、7月の映像を境に赤く変更されていっていることがわかると思います。また、地面にはエイリアンの浸食ぶりを表す触手も付け加えられました。

ステッペンウルフのデザインが大きく変更されたのなら、当然ヒーローのパンチや斬撃がステッペンウルフに当たる最終決戦シーンは8割方は作り直しになりそうです。また、ジョス・ウェドンによってカラーリングも大きく変更されたのなら、主にCG撮影用のグリーンバックで撮影したヒーローたちの映像はそのままに、背景まで実質のやり直しになりそうですね。

f:id:the-Writer:20180301152635p:plainf:id:the-Writer:20180301145859p:plain個人的にJLの最終決戦は、MoS,BvSのそれよりもどことなくテンポが悪く、CGが浮いており、ヒーローたちのアクションのつながりがイマイチ不自然な流れに感じていましたが、上記の経緯がそれを説明してくれそうです。よってスナイダー・カットではブルーを基調としたシーンになると思われますが……しかし、一つ矛盾点があります。それはultracal31さんによるリークの

削除:3つのマザーボックスの融合=三位一体が始まり、赤く染まる空と生じる雷という異変に反応する人々。マーサ、ロイス、サイラス、ゴードン、アクアマンが居た村の人々、ロンドンなど

この個所です。まだジョス・ウェドンも参加していない2016年12月にスナイダー・カットのラフカットを見たはずなのに、空が「赤く」なっているんですよね……ごめんなさい、流石にこれに対する上手い説明が浮かんでこないです(思いつく方が居たらコメントで教えてください……)。ultracal31さんの説明は話半分で聞くのが良いと思われます。

f:id:the-Writer:20180301153215p:plainステッペンウルフの姿が初めて出たのは2017年7月の予告編からですから、最初の彼の姿は一般に一切知られることなく、ワーナー・ブラザーズが「明るく」する方針のもと、人間に近く最初よりは怖くないデザインでの製作が進められたのだと思います。なお、前回の記事で書いた通り、スナイダー・カットはVFXもかなり進んだ状態であると考えられています。よってBvSでわずかな間のみその姿を見せた怪物が、自分が覇権を握ろうと画策してスクリーンで動く映像が既に存在し、MoS,BvSのようなハイスピードで3次元空間を縦横無尽に移動するカメラワークで映された充実の最終決戦の映像も、構成は出来上がっているはずなのです。

 

 

 

 

 

最後に、スナイダー・カットは……?

以上、スナイダー・カットは本来こうなるはずだった沢山の点でした。文章化されるだけでかなり盛り上がるので、実際完成した映画として観たらどうなってしまうのでしょうか。上記の情報が全て真実ならば、それらの映像は全て一本の映画として編集が完了した状態で存在しているという事になりますね。一本の映画として既に存在はする……僕としてはかなり嬉しいです。

では最後にスナイダー・カットに関する興味深い情報を一つ。

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先ほど、キーラン・ハインズにインタビューを敢行した2017年末のエース・コミコンなのですが、ファンメディアのCINEMA CUREのカメラマンがキャスト達に質問したそうです。「そういえばスナイダー・カットってどうなってるんですか?」

サイボーグことヴィクター・ストーンを演じるレイ・フィッシャーは目を見開いて満面の笑みを見せた後、「何も言えないんだ」というジェスチャーを、他のキャスト達は「すみません、それについて話してはいけないんです」と答えたそうです。そのカメラマンに言わせると、レイ・フィッシャーが見せた笑顔は愛想笑いではなく、「僕からも何か話したいけど、ルールが厳しいせいで何も言えないんだ、ごめん!」という感じの笑みだったとか。これはもしや……?

希望は、生きている。『ジャスティス・リーグ』ザック・スナイダー・カットの存在と進捗状況

『マン・オブ・スティール』『バットマンvsスーパーマン』に連なる続編にして、数々のヒーローが結集し外宇宙からの脅威に立ち向かう超大作『ジャスティス・リーグ』が去年11/23に公開されました(以下、MoS,BvS,JLと書きます)。

この3作を連続して監督したのはザック・スナイダー。そのじっくりとしたストーリーテリングや、いちいちキマッているカット、彼にしか取れない神話のような重厚な雰囲気には定評があります。なお、残念なことに数々の事情が重なり、ザック・スナイダーはJLより降板し、代わりに参入したジョス・ウェドン(『アベンジャーズ』『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』で監督・脚本を兼任)によってJLは一旦の完成を迎えました。

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しかしJLはウェドンによる大規模な再撮影・作曲家の交代・2時間以内に収められた上映時間、主にこの3つによりMoS,BvSからの連続性は薄まったものの、コンパクトで明るい作風の映画に仕上がりました。これに対して「オリジナルのザック版を見せてくれ」という声が相次ぐ事となりました。ついには署名運動まで発足し、現在17万人を集めています。今でも大勢のファンがいわゆる「スナイダー・カット」を求めている異例の事態です。

かく言う僕も前2作の大ファン。本来ならザック・スナイダーが3作連続して撮るはずだったMoS,BvS,JLはスーパーマンが中心に据えられていることから、一部ではザック・スナイダー・スーパーマン・トリロジーなんて呼ばれることもあります。

詳しく感想を書くのはまた別の機会にしますが、MoS,BvSと経て迎えたJLは気付けば終わっていた、そんな印象でした。作風は明るくなり、楽しい映画に仕上がっていたのは確かですが、少なくとも僕が求めていたものではありませんでした。JLは明らかに、製作・配給にあたっていたワーナー・ブラザーズが指示したてこ入れの影響が目に見えており、てこ入れ=上記3つの要因はJLを恐ろしくコンパクトなものにしました。ワーナー・ブラザーズによって手が加えられる前の純粋なザック・スナイダーによるJLが観たい。この思いは劇場で観た日からずっと持ち続けています。

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とはいえ「スナイダー・カット」という代物はそもそも存在するのか?という疑問があります。

ザック・スナイダーが2017年5月、家族の悲劇を理由に公式に降板を発表した時点で、純粋に彼によって作り上げられていたJLはどの段階にあったのか。公開後、ワーナー・ブラザーズからはスナイダー・カットに関する公式発表は一切ないものの、非公式ながらカットされた映像がぽつぽつリークされたり、内部に通じていると主張する人間がネット掲示板でスナイダー・カットは存在すると言ったり、VFXスタッフと主張する人間が存在しないと言ったり、情報は混迷を極めています。

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仮に映画として完成したスナイダー・カットがリリースされないでも、2時間以内に収める過程で大量に生じたであろうカットされた未公開シーン。せめてこれさえ映像特典として含まれればよかったのですが、現在発売されようとしている劇場版JLの映像ソフトに含まれるのはおよそ2分ほどのスーパーマンのシーンのみ。ザック・スナイダーによるトリロジー完結編を望むファンとしては生殺しと言わざるを得ません。スナイダー・カットを巡る情報は基本的にほとんどがワーナー・ブラザーズではない、非公式の匿名の情報なのですべてが全て真実とは限りません。この求めるものがすぐ目の前にあるようで手が届かない膠着状況。

 

そんな中、スナイダー・カットを観たいという熱心なとある人物からタレこみ、もといいくつかの貴重な情報提供をいただきました。一つは海外の映画関連を扱うニュースサイトScreenRantによる記事です。

「JLのザック・スナイダー・カットはあなたが思う以上に出来上がっていた」という題名が付けられたこの記事。1/28に投稿されたものであり、既に映画製作に携わったクルーによるSNSへの投稿などの確固たる証拠を基に、JLのスナイダー・カットが存在することを導き出していますが、それだけにとどまっていません。そのスナイダー・カットは製作段階における終盤まで来ていた、と述べています。スナイダー・カットを望む身としては、相当ありがたい情報です。そんなわけで、今回はここにその内容をかいつまんで記述しておこうと思います。

 

 

 

スナイダー・カットは既にピクチャー・ロックがなされている

まず、Veroの2017年2月17日、ザック・スナイダーによる投稿です。映画のポスト・プロダクションを請け負うCompany 3でステファン・ソネンフェルドとバットマンの戦闘シーンに取り組んでいることがわかります。このシーンは今見るとゴッサム・シティでのステッペンウルフの軍団との戦闘のようですね。

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さて、このステファン氏はJLにおいてデジタル・インターミディエイト・カラリストを務めた人物。映像の色調調整の担当にあたります。この作業はデジタル・インターミディエイトあるいはカラーグレーディングと呼ばれるのですが、なぜ重要なのかというと、この作業は普通ピクチャー・ロックの後に行われるからです。

ピクチャー・ロックとは、撮影された映像をとりあえずつなぎ合わせたものが、編集による整理・調整を経たもの。まだ視覚効果や音響効果はついていないですが、更なる追加シーンや編集される個所は無く、映像の編集自体は最終版である状態を指しているのです。よってこの状態なら恐らく、上映時間も決定していると言えます。映像学校時代からの旧知の間柄であり、ザック・スナイダーが監督する『ウォッチメン』『バットマンvsスーパーマン』で撮影監督を務めたラリー・フォンは、映像編集→色調調整というこの手順をTwitterで認めています。

その最終編集版は、オープニングの一コマ目からエンドクレジットの最後まですべて決まっていることになるそうです。

では、今回はその手順を踏まずに撮影した映像をすぐに色調調整に回した、つまり映像自体はきれいにつながった最終編集版は存在しないというケースはあり得るのでしょうか?ピクチャー・ロックよりも前に色調調整を行ったケースとしては、ベン・アフレックが監督・製作・脚本・主演を務めた映画『夜に生きる』があります。これは映画完成に先駆けて「こんな風にする」というヴィジョンを具現化するためのものでした。しかし、『夜に生きる』はALEXA 65(ちなみに6K)によってデジタル撮影されており、その日その日で色調調整が可能になります。一方、JLは35mmフィルムによって撮影されていたことが、今作で撮影監督を務めたファビアン・ワグナーによって確認されています

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これは『夜に生きる』のようにその都度その都度で、撮影した映像を先に色調調整しておくのではなく、撮影→編集(→ピクチャー・ロック)→色調調整、という手順をJLは踏んでおり、2017年の2月17日にはJLはピクチャー・ロックされていたことが導き出されます。この色調調整の作業は、2時間の映画ならおよそ10日ほどかかるとされており、ワーナー・ブラザーズの公式発表通り5月にザックがプロジェクトを離脱したのなら、それよりもずっと前に、ある段階まで製作が済んでおり、その次の段階の作業に移っていたことも考えられます。ちなみにソネンフェルド氏はJLの二度目の色調調整にも参加しており、彼自身がインスタグラムで10月に報告したところには劇場版の色調調整が終わったそうです(投稿されたシーン自体は、ザックが撮ったものであり劇場版からはカットされている)。

この色調調整が終われば、完成・公開まで残る作業は視覚・音響効果を加える作業ですが、ザックの監督下でそれもかなり進んでいたことが、ソーシャル・メディアへの投稿が裏付けています。

 

 

沢山のシーンでVFXはかなり進んでいた

記事の序盤に書いた通り、映画公開後にいくつかのシーンがリークされましたが、それらほとんどのシーンはVFXが未完成でした。ここから一部のファンが推測したのは、ジョス・ウェドンは6月に始まった再撮影よりも前からプロジェクトに参加しており、ザックにはVFXを完成させるほどの十分な時間が無かった、という事でした。しかし、今度はTwitterへのザック・スナイダーの投稿が相当な量のVFXが既に完成されていたことを示唆しています。

その投稿は、ジェイソン・モモア演じるアクアマンが水中を遊泳しているシーン。

しかし問題は映像中のスクリーンに映るアクアマンの映像ではありません。映像の最初、わずか1秒にも満たない時間一瞬映る文字列が、シーンの詳細を示しています。まず日付は2017/2/27。映画全体の色調調整が終わっていると十分考えられます。次に下の方に“DPX for final per request. Original submission not [見えない] –rious internal [見えない] review as proposed final.”文頭のDPXとは、デジタル・ピクチャー・エクスチェンジ・ファイルの頭文字であり、視覚効果とその色調調整(←やはりピクチャー・ロックが終わっている事を示す)に使われるもの。そして分の末尾にある”review as proposed final”、直訳すると「最終的に提案されたもののレビュー」となりますが、つまりザックがこのシーンの最終チェックを行っていることがわかります。

f:id:the-Writer:20180225193620p:plainf:id:the-Writer:20180225193633p:plainここから推測されるのは、このアクアマンがアトランティスを訪れるシーンのVFXだけを完成させた、というのも不自然なので、アクアマンのシーンが完成している=他のシーンもVFXが完成(あるいは完成が近い状態で存在)している事でしょう。

さて、リークされたいくつかのシーンはほとんどがVFXが未完成のものでした。よってスナイダー・カットは存在しても、VFXはほとんど完成されていないのではないか、という指摘の根拠になっています。しかし、これも恐らく覆されます。

f:id:the-Writer:20180225202942p:plainリークされたシーンの一つに、バリーが店内のような場所でスーツなしでスピードフォースにアクセスし、指一本でガラスを突き破り、目の前でスローモーションで起こっている交通事故に巻き込まれている、片思い相手のアイリス・ウェストを助ける、というシーンがあります。特にこの指でガラスに触れると、あたかも柔らかい素材であるかのようにガラスがグニュゥッと変形し、砕け散る……という印象的な個所なのですが、この個所はリークされたシーンではVFXは未完成でしたが、7月に公開された予告編にVFXが完成した状態で挿入されていました(劇場版からはカットされた)。f:id:the-Writer:20180225190512p:plain更に、サイボーグが雲を突き抜けて飛行するシーンも同様の流れであり、こちらは3月時点の予告編にVFXが完成した状態で挿入されていました。この事から、リークされた映像は視覚効果を加える初期段階のものであった事がわかります。

とはいえ、一連のシーンの一部だけがVFXも終わった完成状態で、予告編に挿入されるのもよくあることなので、その他の視覚効果を要する数々のシーンも全て完成している、とは限りません。しかし、相当な量のシーンが既に視覚効果を加える作業の真っ最中だった……というのは間違いないかと思われます。

 

ここまで、JLはピクチャー・ロックと色調調整まで済んでおり、視覚効果の作業も思っていたよりかなり進んでいたことがわかっています。では、音響効果はどうなのでしょうか?

ザック・スナイダーのVeroへの投稿によれば、1/27にワンダー・ウーマンを演じるガル・ガドットがADRを行っていることがわかります。ADRとはAutomatice Dialogue Replacement、訳すると自動台詞変換、要はアフレコです。

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1/27時点でガドットがアフレコを行っているのならば、残りのフォーリー(人物の足音やドアを開ける音などの環境音の事)の収録は既に終わっている事になります。アフレコはやはりピクチャー・ロックの後に行われる作業ですが、ここで日付にご注目ください。先ほど、2/17時点でピクチャー・ロックは終わっていると書きましたが、アフレコが1/27に行われていることを考えると、ピクチャー・ロックが終わっている時期は1/27以前まで早まりますね。

 

さて、このポスト・プロダクションでVFXの進行状況よりもはっきりしないのが、音楽。オリジナルの作曲家であるトム・ホルケンバーグ、またの名をジャンキーXLによるサウンド・トラックです。ジャンキーXLは、前二作の音楽を担当したハンス・ジマーとは師弟の関係にあり、2016年7月のインタビューでは、

「JLの作曲は大変です。BvSでは仕事を共にしたジマーと共に同じ問題に直面しました。キャラクターにはそれぞれ専用のテーマ曲があるものの、場面によってはその場面をサポートする音楽を流さなければならない。BvSでは専用のテーマ曲を流すのはワンダー・ウーマンのみにしました。もしスクリーン上に6人もいて誰か一人と戦ったりしてたくさんの出来事が同時に起こっているのだとしたら、その中から選び出すという作業が必要です。あなたがどう考えるかは自由ですが、音楽は常に映画をサポートする立場です。音楽はそれ単独ではなく、スクリーンで起こっていることをサポートする役回りなのです」

とジャンキーXLは答えています。

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そんな彼が、5月にジョス・ウェドンがプロジェクトに参入してきてその3週間後に解雇されるまで、JLの音楽の作曲や収録にどこまでこぎつけたのかは不明なままです。彼はゲイリー・クラーク・ジュニアと共に映画の主題歌であり、予告編でも流れたカム・トゥゲザーのカバーにも取り組んでいましたが、2017年4月にYoutubeの彼のチャンネルに投稿された動画によれば、同年の6月もしくは7月までは音楽の収録を行う予定はなかった事がわかっています。

その収録を行う予定だった6月(か7月)には、ジャンキーXLはザック・スナイダー共々プロジェクトを離脱しており、「予告編とかにジャンキーXLの音楽が一部使われているんじゃないか」といった予想も彼のTwitterで「インターネット上に出回っている『リークされた』音楽は私が作ったものじゃないですよ トムより」と公式に否定されています。

 よくある事として監督が映像の編集段階で、完成版がどんな感じになるのか確認するために、一時的に音楽をのせたうえでチェックする、というのがあります。つまりスナイダー・カットには部分的にでもジャンキーXLの既存曲、特に過去のDC映画からの流用が使われていることが推測されます。ジャンキーXLが曲を収録していない以上、彼自身が作曲もしくは収録に戻ってこない事には、ジャンキーXLが目指したものが必ず復元されるとも限らない、と念頭に置くことが重要です。

 

 

なぜザック・スナイダーはそこまで急いでいたのか

言うまでもないかもしれませんが、ここまで書いてきたことは全てワーナー・ブラザーズが表向きに発表してきたこととは対照的に違っており、最終的になぜあそこまでオリジナルからの大規模な変更の数々が加えられたのか。

今まではSNS上への投稿でしたが、これは噂になる事を念頭に置いてください。BATMAN-ON-FILM.comのビル・レイミー氏が言うところによれば、オリジナルのJLのラフ・カットは「見られたものではない」と、少なくとも一人の人物によって判断を下されたそうです。なお、彼が情報のソースを明かしていない事や、ラフ・カットのどの点が「見られたものではない」と判断されたのか不明なので、100%本当とは限らない事を改めてご了承ください。

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これが本当なら、それに伴って一定以上の脚本のリライト及び再撮影が決定されますが、なぜザックはピクチャー・ロックをあれほど早く済ませたのでしょうか?これに対する回答は、いつかそのバージョンが日の目を見ることに備えて、と考えられます。

ザック・スナイダーの撮る映画は常にクセがあります。「見られたものではない」は具体的にどの点を指しているのかは不明です。なお、ワーナー・ブラザーズCEOのケビン辻原氏の指示によって上映時間が2時間以内に収められましたし、ザック・スナイダーとクリス・テリオが書き、ジェフ・ジョンズが手を加えた脚本に、更にジョス・ウェドンが作風を明るくするために呼び込ました。そんなウェドンの元で行われた再撮影の映像もふんだんに盛り込まれる事となり、完成した劇場版のJLは(何度も書いていますが)明らかに全2作と比べて映像の色調が色鮮やかで明るく、2時間というコンパクトな長さです。これらの結果から逆算するなら、オリジナルのスナイダー・カットは劇場版よりも映像や展開のトーンが暗く(恐らく少なくとも序盤の雰囲気はBvSから直結している)、そして長かったと考えられます。

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そしてスナイダー・カットはいつかリリースされるという考えを強く後押しするのが、これまでの事例です。『ドーン・オブ・ザ・デッド』『エンジェル・ウォーズ』『ウォッチメン』『バットマンvsスーパーマン』これらは全てザック・スナイダー監督作品であり、公開後にいわゆる「エクステンディッド・エディション」がリリースされていますが、そのどれもが劇場版より高い評価を受けています。ザック・スナイダーが超特急でJLの製作を進めていたとしたら、後にこういったエクステンディッド・エディションのリリースを見越しての事だったのかもしれません。

 

 

 

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 以上、JLスナイダー・カットについて総括すると

確実な事 →ピクチャー・ロック、および色調調整、音響効果までは終わっている

不明瞭な事VFXと音楽の進行度合い

つまり、VFXと音楽が加われば、ザック・スナイダーが構想していた本来のジャスティス・リーグは完成することとなります。以上で、この記事を書くのに大いに参考にさせてもらった記事の内容は終わりますが、まだほんの少しだけ重要な続きがあります。

TwitterFacebook、LINEと比べればまだまだ知名度が低いSNSのVeroですが、最近のザック・スナイダーはこっちで活動していることが多いです。そのVeroで、スナイダー・カットのリリースへ向けて積極的な活動を行っているフィオナ・ゼーンさんが例の記事をurlを添付して投稿したところ、なんとザック・スナイダー本人がいいねしたそうです。普通、自分が途中で降板したプロジェクトで、降板までに舞台裏で起こっていた出来事についての推測記事にいいねを贈るでしょうか?監督であるザック・スナイダーが反応を、それも肯定的な反応を示している時点で、JLスナイダー・カットは確実にワーナー・ブラザーズのフィルム倉庫に存在し、それも製作は相当進んでいる状態で眠っているのです。

 

 

最後に

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さて、以下から完全に個人的な意見になりますが……

過去にワーナー・ブラザーズ製作作品において、当初の構想通り製作がかなり進む→諸事情により当初の構想からかなり違う形で完成・劇場公開→のちに当初の構想通りの作品を完成、ソフト化という作品があります。1980年に公開された『スーパーマンⅡ/冒険編』です(奇しくもスーパーマンが重要な役割を担う作品ですね)。詳しくは以下の記事をご覧ください。

スーサイド・スクワッド』でもワーナー・ブラザーズによる大幅な介入が噂されましたが、JLでは署名運動に参加しているだけでも17万人のファンがオリジナルのスナイダー・カットを望んでおり、実際にはもっと大勢の人間が同じ願いを持っているはずです。それだけ大勢が望むのなら、劇場公開でコケてしまったJLを後のソフトリリースで挽回とまではいかずとも、金のなる木をもう一本増やしておくのも悪くない話だと思います。劇場版とスナイダー・カットの2種類が存在すれば、JLを楽しむ幅が広がり、より大勢のファンがDCEUを楽しめるようになりますし。

現在のワーナー・ブラザーズでDC映画を担当する部門はメンバーが入れ替わりましたが、ソフト化及び再製作にどれほどの権限を持つのかは不明です。一度事実上の凍結まがいを行った作品を再起動させるのは当然ながら多額の金と人員が必要となります。それにJLは、興行収入においてDCEU作品群の中で最下位を記録することとなりました。ワーナー・ブラザーズがJLは完全に終わったものとして放棄するのか、それともスナイダー・カットのリリースで挽回を狙うのかは目下全く不明です。

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しかし、一般に向けて発売されるJL映像ソフトに、未公開映像を少しだけ含めているあたり、スナイダー・カットを願う身としては何かを感じます。監督主導で製作→スタジオがラフカットを見る→スタジオ「アカン」→スタジオ主導で再撮影、音楽含めて大幅に作り直し→公開という流れ、実はルーカス・フィルム製作の『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』がほとんど同じ経過をたどっています。そんなルーカス・フィルムは秘密主義でも知られますが、『ローグ・ワン』には未公開シーンを映像特典として全く含めませんでした。

一方のJLは未公開シーンReturn of the Supermanを含めました。じっくりとしたテンポ・MoSでジマーが作曲したスーパーマンのテーマ・MoSを踏まえた展開・スーパーマンとしての復活・最終予告にあったものの本編にはなかったシーン……合計2分程度ながら、特にMoS,BvSと追ってきた方には様々な重要な意味合いがくみ取れるものとなっています。

更に、これは明らかにスタジオが排除したがっていたザック・スナイダー成分100%のシーンです。ワーナー・ブラザーズが一連のDCコミック実写映画化計画において、JLはもう終わったものとしてみなしているのなら、ルーカス・フィルムがしたように、一切の未公開シーンを含めずに「そんなものはなかった」とシラを切ればいいだけの話です。もしくは『バットマンvsスーパーマン』や『スーサイド・スクワッド』がやったように、10~30分程度の未公開シーンを含めたものを「エクステンディッド・エディション」として出すのもアリでしょう。それを、それもわざわざザック・スナイダーによるシーンをティーザー的にちょびっと含めるあたり何か思惑があるのでは、というのは考えすぎでしょうか。

ジョス・ウェドンが大いに手を加えたJLの劇場版のBlu-ray&DVD(通称:円盤)は米国では3/13発売、日本では3/21発売です。スタジオが仮にスナイダー・カットをリリースするつもりでいても、さすがに劇場版の円盤が売り出される前に大勢のファンが待ち望むスナイダー・カットを「リリースするよ!」なんて言うとは思えません。そんなこと言った日には「じゃあ3月の円盤は買わない!」なんてなって売り上げがた落ちですからね。「スナイダー・カット観たかったけど、これでもいいかぁ」なんて妥協して買ってくれるファンも見込みつつ、スナイダー・カットに関しては一切発表をせず、劇場版を販売。ある程度売れたら、その後にスナイダー・カットをリリース……というのがワーナー・ブラザーズが秘密裏に計画しているのではないでしょうか?

現に、このDCEU(DCFU?)で劇場版にカットされたシーンを追加した延長版を販売したケースは4件中2件、『バットマンvsスーパーマン』と『スーサイド・スクワッド』です。ただし、BvSは劇場公開からわずか5日後、カットされたJLに繋がる重要な伏線シーンをYouTubeに公開しており、非常に積極的な動きを見せていました。

また、BvSとSSは延長版が販売されたのは共に、劇場公開からおよそ4か月後、通常の劇場版と同日発売です。JLスナイダー・カットが一般向けにリリースされるのはいつになるのか……

似たようなケースとして先に挙げた『スーパーマンⅡ』ですが、これは途中で降板したオリジナルの監督であるリチャード・ドナーが戻り、監修を務めています。ならば、ファンが望むオリジナルのスナイダー・カットを一番よく理解しているのはザック・スナイダー本人に他ならず、彼の帰還は不可欠です。しかし、彼は愛娘が自殺で亡くなるという悲劇に見舞われており、残された家族とともに療養の時間は必要です。僕はスナイダー・カットは一刻でも早く見たいことは確かですが、家族との時間を捨てさせてまでザック・スナイダーにJLを続けてほしくありません。また、去年2017年10月時点でのザック・スナイダーの活動予定は、

予定としては、次回作の映画のポストプロダクションに入るころになると彼は語っている。その次回作は、元々は『300 <スリーハンドレッド> 〜帝国の進撃〜』の公開直後に制作を開始した『The Last Photograph』というドラマになる見込みだ。また彼は、依然として近日公開される多くのDC映画の製作責任者であるが、当面は脚本の執筆や『The Last Photograph』の制作準備が仕事の大部分を占めるだろうと語っている。

しかし、『ジャスティス・リーグ』についてはどうだろうか? ウェドンが引き継いだ際に、スナイダーはスーパーヒーローの団結を有能な人材に委ねたが、彼自身はまだ関わっているのだろうか? 少なくとも目をかけているのだろうか?

そういうわけでもないようだ。映画制作から長らく離れたあとにまた彼が関わることは、「あらゆる点で不公平になります」とスナイダーは語る。「わたしは『ジャスティス・リーグ』にワクワクする立場にありますし、仲間と一緒に喜んでいます。制作に取り組んでいる人々が大好きです。彼らはわたしの家族であり素晴らしい仕事をしてくれていると思います」とスナイダーは語る。「わたしはただ、製作陣には自分の仕事に集中してもらいたいんです」

出典:なぜ映画監督のザック・スナイダーは「iPhoneだけで撮影した」短編作品をつくったのか?

となっています。願わくばジャンキーXLにも戻ってきてもらいたいですが……例えJLのスナイダー・カットを復活させる動きがワーナー・ブラザーズ内にあったとしても、それを目にする日が来るのはまだまだ先のように思えます。

詳しくはまた別の記事に書きますが、僕は劇場版も嫌いではないです。むしろ「ジョス、めっちゃいいシーン撮ってくれたな(*゚∀゚*)=3ムハー!!」というシーンもいくつかあります。しかし、オリジナルのJLは3時間近くもあったとされ、劇場版に色々なものが欠如していると感じた方には十分といえるレベルでしょう。作中で描かれたイベントを適切な規模で楽しむなら、スナイダー・カットがベストであると思います。まずは、3/13まで待って。そこを第一通過点として、とにかく希望を持って待とうと思います。

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色々書きましたがかなりの部分が推測で成り立っており、「そんなわけないじゃん」と思う方もいるかもしれません。なお、その推測は確かなソースなどの証拠から成り立っており、製作に携わった関係者もそれを認めています。ザック・スナイダーや、DCEUに深く携わっており、ザックとは親友の写真家クレイ・イーノスは”Never Compromise”と投稿していました。僕は信じます。

また、ここまで読んでくださった方々の多くは僕と同じくスナイダー・カットを望む方々であると思います、ありがとうございました。そして最後に一つ、お願いがあります。特にSNSをやっている方、是非ともこの記事を、JLのスナイダー・カットの存在を広めてもらいたいのです。署名運動が行われるなど、姿勢が非常に積極的な海外に対して、日本のファンの方々にはこういった「本来こうなるはずだった」JLに関する情報があまり知られていないように思えます。スーパーマン・トリロジーの正当な完結編であるスナイダー・カットを観たいと願う日本のファンの方々にも、この情報は知られる必要があります。

また現在そのスナイダー・カットは具体的にどんなもので、どんなシーンが存在するのか?という記事を鋭意執筆中です。近日中に公開いたしますのでそちらも併せて読んでいただければと思います。

追記:書けました!よろしければどうぞ~f:id:the-Writer:20180225191351p:plain現時点ではリリースされるかはわかりませんが、少なくともオリジナルのJLは確かに、製作がかなり進んだ状態で存在します。ワーナー・ブラザーズからは一切の発表がない中、心細い状況ではありましたが、それだけでもかなりの希望が持てるのではないでしょうか。JLは、スーパーマンと同じくきっと元の姿を取り戻して復活します。あきらめるのは未だ早いです。希望は、生きています。

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SWキャラの顔が変わり過ぎ問題について

こんにちは、最近はSWにどっぷりと浸かっているthe-Writerです。

日本だと米国に先駆けてMCU10年目の集大成『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』が4/29に控えており、ファンなら期待だけで正気を失うレベルの化け物作品なのですが……今は何とかSWに集中することで『インフィニティ・ウォー』までの時間を長く感じずに済んでいます(-ω-)

『エピソード8』の感想記事を3本も書いた後なので、今回は比較的軽めな調子でいこうかと思います。ライアン・ジョンソン監督が全力で作り上げたものに全力で挑んだ後というのは心地よい疲れがありますが、疲れは疲れですからねw息抜きは必要です。

 

えー、映画でよくあることと言えば、登場人物の子供時代と大人時代をそれぞれ異なる俳優が演じる……これは当たり前ですよね。とはいえ2人で1人の同一人物を演じる以上は説得力を持たせるため、メインとなる大人の俳優にどれくらい似た子役をキャスティングするかは、作品によって異なります。

そんな現象が頻繁に起こり、更にデリケートな問題と化すのがスター・ウォーズというシリーズです。先ほど挙げた例の如く子供時代と大人時代ならまだいいのですが、たった数年しか間隔があいていない設定なのに演じる俳優、つまり同じキャラクターの顔が微妙に違う……というのもSWではよくあるケースです。更に、前回の記事で述べたようにある程度SWに慣れ親しんだファンとなると、「拘り」というものができてしまうので、自分が良く見知ったキャラクターが新たに違う俳優に演じられるとなると、それに抵抗を示すというケースはよくあること。

ファンの方なら一度は経験したあるあるではないかと思います。ライトなファンや一般客の方ならほとんど気にしないのかもしれませんが、ウォーザーであり、そういう細かいことが気になってしまう性格の僕としてはある程度はケリをつけておきたい問題です。 SWは様々な時代をとびとびに語るので、こういったケースは往々にして起こるんですよねぇ。

 

なぜ今わざわざこれを持ち出したのかというと、これです。

いやあ僕は前からずっと楽しみにしていた一本なのですが、「A Star Wars Story」と銘打たれたアンソロジー・シリーズ第2弾の主人公はハン・ソロ。特に昔からのファンの間では、ルークやレイアと並んで伝説級のキャラクターであります。そんなハンの若かりし頃に起用されたのが、オールデン・エアエンライク(表記は公式サイトに倣いました)。

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そんな彼の顔はファンの間で物議をかもしました。ルーカス・フィルムが行ってきたこういったキャスティングは、もはやSWのお家芸となっている気がしますが、「顔が違う問題」について僕の考えを書いていこうと思います。

 

 

顔が変わってきたキャラクター達

……そもそもこの「顔が違う問題」はそれこそ観客の感性が関わるので、なかなかデリケートな問題ですよね。ここでは僕が思いつく限りで、SWで複数の俳優が同じキャラクターを演じている事例を挙げて観ようかと思います。幼少期~青年期なら、「まあ、こういう成長もありえるかな?」と納得は可能ではあると思うので、あまり顔が変化しないはずの大人の時期で、演じる俳優が異なるケースに絞っていこうと思います。

アナキン・スカイウォーカー, オビ=ワン・ケノービ, ウィルハフ・ターキン, ラーズ夫妻, モン・モスマ, (例外:ヨーダ)……

 これはあくまで実写化作品に限ったものであり、同じ正史(カノン)に属する『クローン・ウォーズ』,『反乱者たち』,『フォース・オブ・デスティニー』といったアニメ・シリーズまで加えると、真面目に考えるのは更に大変になります。設定上は同時期であっても演者が違う・声が一旦変わってまた元に戻る(実写→アニメ→実写と経るので)、なんてケースもあり得ます。

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なぜ顔が違う=役者が違うのか?それは製作上の都合の他なりませんね(身も蓋もない)。

新たに描くのが既存キャラクターの若かりし頃にしろ老いた後にしろ、そのキャラクターを演じた俳優に続投してもらうのがベストです。しかし、SWの場合何十年も前につくられた映画のキャラクターの、それも若いころの姿になるので当然続投はほぼ不可能となるので新たにキャストを雇う必要があります。……とまあ当然のことをつらつらと書きましたが。

そして、その新キャストとはどうやって、なぜ選ばれるのか?これは完全に僕の推測になってしまうのですが……

顔はオリジナルの俳優に似ているか、というのはもちろん重要な点なのですがルーカス・フィルムがそれ以上に重視している点があるように思えます。それは、新しいキャストが演じてもらいたいキャラクターの「本質」を備えているかどうか、という事です。格好良く言えば「魂」を感じさせる演技ができるか、俗っぽく言えば演技がそのキャラクターっぽいか。

たとえば、オリジナルの後に製作されたプリクエルの主人公であるアナキン。オリジナルの悪役であるベイダーとは、恐怖の象徴・威圧的・それでいてどことなく哀愁と葛藤を感じさせるキャラクターでした。そんな彼の若かりし頃の姿にキャスティングされたのは、ヘイデン・クリステンセンというあからさまな美形です。オリジナルから忠実に追ってきたファンが唯一知っていたベイダーの素顔はセバスチャン・ショウでした。

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言ってしまえば、似ていないです。更に、そんなヘイデンの演技は『エピソード2』『エピソード3』を通して、まだ未熟な響きを持つ演技でした。「あのベイダーのかつての姿なんだから、きっとこうに違いない」と「拘り」を持っていたファンの中に、拒否感を持つ方も少なからずいたのではないでしょうか。ファンの反応はともかく、創造主のルーカスにとってのアナキンとは「そういうもの」でした。ヘイデンをキャスティングしたのは、「彼がダークな雰囲気を持っていた」からだそうです。傍に居る観客から見たら顔が違っていても、ベイダーというキャラクターを作ったルーカスは、ヘイデンの中にこそ、のちのベイダーに繋がる暗黒を抱えた若者を見出したのではないでしょうか。ヘイデンはアナキン及びベイダーの「本質」を体現できる俳優だったという事です。

ならば、オビ=ワンに関してもそうです。

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そして、ハン・ソロも。

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ルーカス・フィルムのキャスティングで重視されているのは、本質≧顔という気がします。とはいえ、キャスティング係は作品によって違うでしょうし、常に僕の思った法則通りというわけでもないでしょうが……。顔はそりゃ似ていた方が良い。けど、演技がそのキャラクターそのものなら、顔は大体似ていればいい。

『ローグ・ワン』のターキンとレイアについてですが、製作時にはルーカス・フィルムには「絶対に『エピソード4』につなげる」という固い意志がありました。それは必然的に『エピソード4』の描写に忠実なものになり、ターキンとレイアは最新の映像技術によってほぼ本人という形で再現が可能となりました。

 

一通り例を検証し終えたところで、SWの重要な性質を確かめたいと思います。

SWとは、おとぎ話です。おとぎ話とは史実というよりも伝説に質が近い。つまり、同じ事柄でもそれを伝える口によって異なってしまうことがあり得る……と僕は解釈をしています。SWとは伝えようとしている物語の根底にある本質さえ間違えたりしなければ、作品間の矛盾は存在したとしても、それはおとぎ話として許容される範囲のものであると。

僕がその解釈の裏付けとして挙げたいのが、「SWはバージョンによる違いがある」という例です。たとえばファンの間では有名な『エピソード4』のHan shot firstや、『エピソード6』の霊体アナキンの顔があります。こうした違いはまず、当時オリジナルの劇場版が公開され、後にジョージ・ルーカスが映像をプリクエルに近づけるため、VFXを付け加えるなどして改修した特別篇が製作されたといった経緯によるもの。

2018年2月の現在時点、ルーカス・フィルムは「のちにルーカスの改修を受けた『特別篇』こそがオリジナル」(≒「劇場版は存在しない」)という見解を崩していません。しかし、カノンとされ、SWの大本である『エピソード4』ですらバージョンによる違いがあるという事。

よって、遠い昔、はるかかなたの銀河系で何かしらの物語あるいは史実があった。しかし、それは語り口によって微妙に差が生じてしまう……と捉えることができます。MCUや『シン・ゴジラ』は「虚構のものが、もしこの現実世界に出現したら……」というように、コミックや特撮といった架空の存在をこの現実世界に落とし込むため、その背景となる社会・地理・時間経過なども綿密な設定を行い、極限まで現実世界に近づけ、リアルに見せる必要があります。しかし、SWはそうではありません。

 

また、SWの宇宙は最初からおとぎ話といいますか、フィクションのあそび場として設定された宇宙です。このジョージ・ルーカスが作った宇宙では、真空中で音が鳴り、ミレニアム・ファルコンは光速の1.5倍で飛び、フォースという魔法の力が存在します。SFはSFでも、サイエンス・フィクションではなく、スペース・ファンタジーなのです。ならば、ヘイデン・クリステンセン→セバスチャン・ショウ、ユアン・マクレガーアレック・ギネス、ウェイン・パイグラム→ピーター・カッシング、オールデン・エアレンライク→ハリソン・フォードも起こりえます(断言)。それに、SWは作品間どころか個々の作品内にも数々の細かい矛盾やおかしい点が存在します。ここではこれを読んでいる方の楽しみを阻害しないために、敢えて書きませんが……なので、そういった性質を持つSWは場合によってはキャラクターの顔が違うというケースも起こってしまうし、それは通常路線といっても過言ではないかもしれません(とはいえ、似ていれば似ているほど嬉しいことは確かです)。

 

f:id:the-Writer:20180223231201p:plain正直、オールデン・エアレンライクについて「無理はあるな」とは思いつつ、「まあいいじゃん」と普通に受け入れてます。というか既に好き。結局は個々の好き嫌いによるところです。まだ本編は公開されていないので「いいやこれは○○じゃない」というのは実際に映画を見てからでもいいと思います。それに、作品がどの層をターゲットに向けて作られたのかのもあると思いますし……(それについて語るのは別の機会に)。『エピソード7』以来、「ハン・ソロといえばハリソン・フォードでしょ」と条件反射的に考えるウォーザーとしての地盤が築かれていた僕ですが、『エピソード8』を経てもっと柔軟に行こうと思いました。

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既に、僕の中ではハンというキャラクター像が拡大しつつあります。惑星コレリアに生まれた少年はベケットが父代わり、幼馴染のキーラと過酷な環境を生き抜いてきた。その後、一度帝国に身を置きながらもランドと悪友になり、チューイと唯一無二の信頼関係を築いていき、賞金稼ぎとなってジャバの元で働き、ひょんなことから銀河帝国を倒す戦争にまきこまれる……そういう新しい地盤ができつつあります。まだまだ若く、エネルギッシュなハンが繰り広げる冒険をスクリーンで見たいですね。

 

SWのキャラクターたちにとって顔とは何なのか

まとめると、SWのキャラクター達の顔が違う理由は、

キャスティングの事情(大本の理由)

→①新キャストが旧キャストの演じた「本質」を持っている

→②SWの宇宙では顔つきが変わるような成長が起こりうる

という2通りになります。

どちらかと言えば、①は僕ら観客の現実世界に根差した理屈であり、②は架空のSWの作中世界に根差した理屈であると思います。①,②はあくまで「なぜ顔が違うのか」という疑問に対する答えですので、どうせなのでもう一歩踏み込んだことも少し書こうかと思います。

顔は、キャラクターの内面=「本質」(の一部)を表しているという説を提唱したいと思います。SWにおけるキャラクターは、まず描きたい性格を持ったキャラクターがあり、キャスティングされる俳優の顔や声というのも、その描きたいものを描くための手段となります。言い方を変えるならば、顔があっての内面ではなく、内面あっての顔という事です。顔が、そのキャラクターの内面を表しています。これはフィクション、特にSWというおとぎ話ならではの芸当です。ハンで例えるなら、オールデン=若く無鉄砲な男から、ハリソン=海千山千の不敵な男になっていく、という道のりです。

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初めて『ハン・ソロ』の特報で若いハンの声を聞いた時、「まだ未熟な若者っぽいな」というのが第一印象でした。『エピソード4』に登場した数々の修羅場を潜り抜けてきた既にベテランの密輸業者の声は、低くて余裕も感じさせます。それに対して『ハン・ソロ』で描かれる駆け出しの孤児の声は、夢に向かって溢れんばかりのエネルギー、まだ腰が落ち着いていない若者らしい感じでした。

 

またこの説なんですが、あくまで僕なりの独自解釈のつもりでしたが、考えてみると思わぬ有力な根拠があることに気付きました。先ほども言及した『エピソード6』ラストの霊体アナキンの顔です。劇場版ではセバスチャン・ショウでしたが、特別篇ではヘイデン・クリステンセンになっています。その変更を下した件について、ジョージ・ルーカスは「彼が善人であった最期の瞬間、アナキンは(ヘイデン・クリステンセン演じる)若き頃の姿だったから」という見解です。

↑の映像は、『エピソード7』からのキャラクター・レイのキャスティングについて。監督が述べるところには、重視したのは演技とのことですが。デイジー・リドリーについて、僕は個人的にかなりの適役だと思っていまして。彼女が見せる表情は状況に応じて男らしさと女らしさ、優しさと激しさ、喜びと孤独といった様々な要素が見えるすごいバランスの顔だと思います。まだ2015年当時はその素性が謎に包まれており、彼女自身自分が誰かわかっていないというキャラクター・レイ。その特徴を端的に表した顔を見つけ出したキャスティングは素晴らしい仕事をしたと思います。

 

 

 

以上、SWで同じキャラクターが時代によって顔が違う問題について僕の考えを書きました。確かに人によってはとても気になる個所であると思いますが、僕はそれはそれで面白いかなあと思いますし、楽しみの幅が広がるように思えます。同じキャラクターを異なる俳優がそれぞれ異なる時代の姿を演じることで、面白い相互的な影響が生まれます。アナキンに関していえば、ジェダイのアナキンに後のベイダーに繋がる影を見たり、ベイダーの中にふとアナキンの面影を感じたり……といった具合に。今は『エピソード8』の円盤発売と、未だ”kid”と言われていた若いハンが蘇る6月の『ハン・ソロ』が楽しみで仕方がない日々です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、SWは

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