『ローガン』は家族になっていく物語(なのかも)
映画X-MENシリーズ最新作、そしてヒュー・ジャックマンがウルヴァリンを演じるのが最後となる『ローガン』。
公開されてきた予告編は、これまでのアメコミらしい派手さやカラフルさはなく、曲と相まって哀愁漂うウェスタンな雰囲気の、X-MENシリーズの中で異質さを感じさせるものでした。
「彼女は君に似ている。とても似ている」
さて、注目したいのは新たに登場したこのミュータントの少女。
公式のSNSでのプロモーションや、予告編と原作コミックの比較によって彼女はX-23というキャラクターであることが確認されました。
今回は映画版のX-23というキャラクターのバックストーリーの考察を行っていこうと思います。(僕は原作コミックには詳しくないですが……)
原作ではX-23はウルヴァリンのクローン、ESSEX社はミスター・シニスターというヴィランが率いる企業という設定です。
『X-MEN:アポカリプス』のオマケシーンにて、ESSEX社の社員がウェポンX(=ウルヴァリン)の血液を回収していたので、映画版(アースTRN-414)でのX-23はESSEX社が創り出したという設定になっています。
ところで予告編を見る限りでは、X-23は一言も言葉をしゃべっていません。
叫び声をあげても、言葉を発していないのです。
そして凶暴なのです。
兵士たちを躊躇なく二本のツメで容赦なく切り裂き、商品を盗んで捕まえてこようとしたコンビニ店員を地面に倒して殺そうともしました。
この描写によってX-23から連想するものがあります。
心に傷を負った子供です。
ESSEX社が何の目的でX-23を作り出したのかは不明ですが、原作コミックの設定からしてX-23が良い待遇を受けたとは言い難いでしょう。
また、先日公開されたこちらの映像をご覧ください。
ウルヴァリンの時とはまた違うアダマンチウム移植手術の経過や、彼女の様子を生々しく映した実験記録の映像のようです。
ウルヴァリンは殺された(と思っていた)恋人の復讐のため、自分の意志でアダマンチウムの移植を受けました。
彼女がウルヴァリンと違うのは、彼女には生まれた時から選択権がなかったことでしょう。
恐らくX-23は最初から実験目的に作り出され、実験のために利用されてきました。
彼女がミュータントであることはミュータントが少なくなった世界で大変貴重であり、クローンであることは生物学の大きな一歩であることを示し、その治癒能力は不死の秘密すら解き明かせるほどに計り知れないほどの可能性を秘めていたことでしょう。
それらは人間の欲を刺激せずにはいられなかったのです。
様々な過酷な実験を受けさせられたとしても、それでも傷は生まれつきの能力で治癒していく。
X-23は個体名としてつけられたコードネームであり、識別番号。
人間の名前で呼ばれることは一度もなかった。
道具としてしか見られず、人間として見てもらえないのがどれほど過酷でしょうか。
死のうと思っても持ち前の治癒能力で死ねない。
彼女には最初から家族と呼べる存在がいなかったのです。
温かく支えてくれる母も、厳しく時に優しい父もいないのです。
彼女はやがて口を閉ざすようになり、自己防衛のために凶暴性を秘めるようになりました。
しかし、それでも生きる希望を完全に失ったわけではありません。
ある日、スキを見てESSEX社の檻から脱走した彼女は逃げ、流浪を重ねて、かつてミュータントの指導者の1人であり、X-MENのリーダーとして様々な脅威と戦ってきたプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビアに出会います。
名前は?と聞くチャールズに口を閉ざすX-23。
頭の中を見てもらい、彼女の境遇を理解したチャールズは人間の名前として「ローラ」と名付けるのです。
ESSEX社が差し向けるサイボーグ兵士軍団の追手に対して、チャールズはローガンに助けを求めます。
半ば生きる目的を失いかけて最初は断りかけたローガンは、ローラがもう一人の自分であることを知り、彼女とチャールズを守るためにもう一度だけ戦いに身を投じます。
そして3人で戦いと旅を重ねる中で、彼女は自分の居場所、そして自分を守ってくる家族の存在を見出し、初めて「笑顔」を知るのではないでしょうか。
チャールズは何でも知っているおじいちゃん、ローガンはお兄ちゃん兼お父さん
『ローガン』はウルヴァリン最後の作品ともいわれていますが、そのメインの流れの側面には自分の居場所がなかった子供が家族の温かさを知っていくストーリーがある(のかもしれない)のです。
以上、僕の考察でした。
実際の所は映画本編が公開されてからでないとわかりませんが、予告編でこれだけの考察が楽しめて追いかけるのが楽しいのも、アメコミ映画の魅力の一つだと思います。
映画『ローガン』は今年6月1日公開。