『ドクター・ストレンジ』は教科書だ

 「魔法」……この言葉を聞くと何が頭に浮かびますか?

f:id:the-Writer:20170807073510j:plain

箒に乗って空を飛ぶ、というのは古すぎる発想かもしれませんが、杖を持って呪文を唱え、現実にはあり得ないような奇跡を起こす、というような光景を考え付くのではないでしょうか。

少しばかり真面目に考えてみた結果、僕にとっての魔法とは「不可能を可能にする」技術、という結論になりました。なにやら少年漫画の熱血主人公などにあてはまりそうな文句ですが……少しだけ言い換えるならば、魔法とは一見不可能に見える事を実現して見せること、でもあるでしょう。

たとえば、スイッチ一つをカチッと押すだけで安定した光が灯る電灯。この21世紀の現代では当たり前のことですが、今から200年過去に遡った時代では、まだ蝋燭やたき火といった、天然の火に頼っていました。また、現代ではスイッチ一つで食べ物が温めることができ、お風呂を沸かし、遠い外国の最新情報が手軽に入手できます。しかし、これらの当たり前とは、過去ではすべて「奇跡」です。そしてなぜそれが可能になったのかと言えば、「科学」が発展したからでしょう。科学とは、自然界の仕組みを知る事。様々な自然現象を「公式」の形にまとめることで、誰でも学習・理解・使用することを可能とし、様々な新しい技術の開発に繋がりました。

一見、科学と魔法は対極にあるものとされ、魔法など非科学的……という意見もありますが、僕はむしろ科学の発展形こそ魔法であり、魔法は科学を包括するという、相互的な関係にあると思います。敢えて科学と魔法に線引きを行うならば、「説明・実証」が可能か?という点でしょうか。

ちなみに、『2001年宇宙の旅』などで有名なSF作家アーサー・C・クラーク氏が提唱した「クラークの3法則」というものが存在します。それによれば、

クラークの三法則(クラークのさんほうそく)とは、SF作家アーサー・C・クラークが定義した以下の三つの法則のこと。

  1. 高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。
  2. 可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである。
  3. 十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。

出典:クラークの三法則 - Wikipedia

よって、いよいよ科学⇔魔法という関係が僕の中で固まりました。

以上、僕の魔法に対する見解です。

そして、その魔法を現実と地続きに描くことでリアリティある説得力を持たせ、新しいヒーローのオリジンを描いた作品が『ドクター・ストレンジ』なのです。

 

今や膨大な数の映画やドラマを制作し、自社のキャラクター達を実写化しているマーベル・スタジオは、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)という一つの巨大な世界を作り上げている……というのは、本ブログをよく読んでくださっている方々はもうご周知でしょうか。その作品群は、SF, コメディ, ファンタジー, クライムサスペンス……といった様々なジャンルを扱い、非常に「懐が広い」と言えるものの、すべての作品が一定の高いクオリティを保ち、まさにハズレが無いのです。

マーベルのヒーローの代表としてよく挙げられるのが、アイアンマン, キャプテン・アメリカ, スパイダーマン など。

アイアンマンやスパイダーマンは機械工学を主として、物理・化学を駆使して作り上げたスーツを身にまとって戦う、(地球の)科学の最先端を行くヒーローです。

一方で、ソーといった北欧神話からやってきたヒーローは、高度な文明を持つ異星人という解釈がとられ、雷を自由自在に召喚するハンマー・けた外れの身体能力、といったコミック的要素が現実に落とし込まれています。

f:id:the-Writer:20170805185410j:plainf:id:the-Writer:20170803153520j:plain

MCUではコミックの実写化に際し、「そこに実在するのだから、そこには何か理屈があるはずだ」というスタンスが根底にあります。よってヒーローの動機から、その能力の仕組みといった全てに対して説明がつくように、設定が練りこまれているのです。

一見現実では起こりえないむちゃくちゃな絵面(例えば怒ると体が緑に変色してごりマッチョに膨れ上がる中年男性)でもしっかり現代科学に基づいたものとして、理系の方でも安心して楽しめるのですね。

もっとも、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のしゃべるアライグマ・人型の樹木、といったキャラクターはやはり一際異彩を放ちますが……

f:id:the-Writer:20170803153644j:plain

 

そして、ついにそのMCUが『ドクター・ストレンジ』を製作する=「魔法」を扱うとして僕は前々から非常に楽しみにしていました。

結果として、僕は大満足です!ついにMCUに参戦してきた摩訶不思議なドクター・ストレンジ。今回はその魅力を書いていこうと思います。

 

 スティーブン・ストレンジという男

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』にて、テロ組織ヒドラの抹殺対象として名前が言及されたスティーブン・ストレンジ(日本語字幕だと彼の名前は省略されています)。そんな彼はどんな人間なのか?

事故によってその輝けるキャリアも技術も失った、天才外科医。

溢れる知性とユーモア、スタイリッシュな佇まいの彼の唯一の欠点は、その傲慢さ。

出典:ドクター・ストレンジ|ドクター・ストレンジ|映画|マーベル

この特徴的なキャラクターは、一見すると非常にコミック的なわかりやすいものです。しかし、物語が進むと「傲慢」というのはあくまで表面的なものであり、ストレンジはそこまで浅いキャラクターではなく、味わい深いキャラクターだと気付かされました。

トニー・スタークと同じように、彼には本当は繊細で臆病な一面があります。臆病故、失敗したくないからと必死に勉強して天才外科医という異名をとるまでになった、というのは本人の口から説明されていました。恐らくそれを隠したいがゆえに、無意識のうちに傲慢不遜ととられるような立ち振る舞いをするようになり、頭も良いので会話によくジョークも交える現在の性格になったのでは、と思います。

f:id:the-Writer:20170807084209p:plain

一方で、彼は一度こうと決めたら、絶対にそれを曲げない不屈の意志を持っています。香港での最終決戦にてドルマムゥとの「交渉」に向かった彼は、ドルマムゥと自分自身をアガモットの眼の力で「ループする時間」という牢獄に閉じ込めました。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の主人公ケイジのごとく、ドルマムゥに何十回と殺されようとも、ドルマムゥが根負けして手を引くまでストレンジはあきらめませんでした。どんな魔術大戦か、と期待していくと拍子抜けするような展開なのですが、このストレンジの粘り強さは既に序盤の方から伏線が貼られているんですね。

 

まず、天才外科医に至るまで、彼によれば「勉強と実践を何年も繰り返した」そうです。特に脳神経という分野は医療でも複雑困難をきわめるところでしょうが、それを丹念にずっと学び続けたからこそ、脳外科として働けたのでしょう。また、その手術自体も、一秒一秒、細心の注意と集中を絶やすことができない、大変負担がかかるものでしょうが、彼は一見それを難なくやってのけます。これも粘り強さによるものと解釈できます。次に、一度エンシェント・ワンによってカマー・タージから追い出された時、彼はあきらめて放浪するでもなく、5時間以上も門の前に座り込んで門を開けてもらえるのを待っています。修行中にヒマラヤ山脈に置き去りにされたときも、カマー・タージへの口があくまでずっとスリング・リングを構えて右腕を回し続けていたことでしょう。絶対に笑ったりしないウォンに対しても、なんとか笑わせようとギャグをかまし続けます。床に就いた後でも、アストラル次元でひたすらに書物を読んで知識をどん欲に蓄えていきます。

確かに、彼には瞬間記憶力という天性の特殊な能力がありますが、ストレンジは決してその天性の能力の上に胡坐をかかずに、実は結局地道な方法で能力を高めようと頑張ってきたんだ、と僕は思いました。その愚直ともいえる粘り強さが、エンシェント・ワンに認められてマスターの称号を授かり、最終的に強大なドルマムゥをも根負けさせるまでに至ったのです。ここに一種の感慨深さまで覚えてしまいます。

f:id:the-Writer:20170807083713j:plain

また、それに加えて彼には自分の美学を固持し続けるとともに、内に秘めた正義感があります。作中、ストレンジは「ミスターじゃない、ドクターだ」と2回ほど訂正する場面があります。アメリカ本国のTVスポット(CM)ではここのみが切り取られてギャグシーンかのように扱われていましたが、実はここにストレンジのこだわりがあるのです。意図的ではないものの敵の命を奪ってしまった時。

f:id:the-Writer:20170807083600j:plain

医者となり、ドクターをかたくなに名乗るのは人の命を救うため。従ってドクター・ストレンジは、もはやMCUでは珍しくなってしまった「優しき不殺のヒーロー」なのです。それが、最終的に負けることで勝利する、という結末を迎えました。

「人のためにあれ」という、師であるエンシェント・ワンの最後の教え。最初、ストレンジは腕を直して元の地位に返り咲きたい、という自分中心の願い(決して悪いことではないですが)を持ってカマー・タージに来ました。最終的に彼は、天才外科医としての輝かしい日々や、クリスティーンへの未練を断ち切り、自分に与えられた使命、そして運命を受け入れます。今はもう動かないクリスティーンからのプレゼントである時計は、「失ったものはもう帰ってこない」という戒めをこめて改めて腕につけたものだと思います。アガモットの眼を使って時間を操った男だからこそ、更にグッと来る静かな決意です。NYサンクタムの丸い窓辺に立ち尽くす彼は、世界の守り手であり、番人として覚悟を決めた、一人のヒーローの様を呈していました。

f:id:the-Writer:20170807065810j:plain

 

 

MCUに持ち込まれた「魔法」

 厳密に言うと、MCUに魔法が持ち込まれたのは『ドクター・ストレンジ』が初めてではなくて『マイティ・ソー』から、と思っています。

例を挙げるならばソーのハンマーであるムジョルニア。その成り立ちに関する設定などはしっかり存在していますが、雷を自由自在に召喚・吸収・放出、ご主人様呼ぶ所どこでも駆け付ける、高潔な者しか持ち上げられないなど、僕ら地球人からすればどう見ても魔法そのものです。

また、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のオマケシーンに初登場し、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』で活躍したワンダ・マキシモフは、作中では呼ばれないものの「スカーレット・ウィッチ」という名前を持っています。また、その力は赤いエネルギーを操って、人に幻を見せたり、物体を動かしたり、エネルギー自体を攻守に使えるというのですから、れっきとした魔法です。

よって、あれだけワンダが暴れまわった後なので、同じ魔法使いとして続くドクター・ストレンジはどのように差別化を図るのだろう……というのが公開前の懸念でした。

 

ワンダと、ストレンジたちカマー・タージの魔術師たちの魔法の根本は、エネルギーを操るという点です。ここは共通しているのですね。

ワンダは6つのインフィニティ・ストーンの一つ、マインド・ストーンによって体に備わったエネルギーを、自分の意志で自由に使います。一方で、カマー・タージの魔術師たちは、異次元から引き出したエネルギーを操る、と説明されています。

f:id:the-Writer:20170806161147j:plainf:id:the-Writer:20170806161217p:plain

視覚的には、ワンダは赤い流動的なエネルギーを使っていますが、魔術師たちは手先から火花が散る直線的なオレンジ色のエネルギーを、様々な決められた形にして使っています。ワンダはある意味独学で自由に魔法を使っている一方で、ストレンジは既に確立された方法に従い、効率的に魔法を使っているわけですね。

MCUは、ドクター・ストレンジが持ち込んだ魔法を「異次元から引き出したエネルギーによるもの」、と説明をつけたわけです。たとえば物理学では、アイザック・ニュートンをはじめとした物理学者たちによって、自然界の運動法則が様々な公式としてまとめらました。そのおかげで、高層ビルにいても、窓から落としたボールが地表につくまでの時間を知るだけで、自分が今いるおおよその高さがわかるのです。MCUでは文明の始まりと共に、アガモットという人物が異次元からエネルギーを引き出す方法を発見し、魔術として確立したようです。従って、ワンダと違う直線的なエネルギー、魔法陣といった表現は、引き出したエネルギーを最大限効率的に使う方法が確立・マニュアル化された事を表しているのだと思います。残念ながら、どうやったら異次元からエネルギーが引き出せるのか、という方法は観客には明かされませんが……(´・ω・`)

また、ストレンジが初めてカマー・タージを訪れた際、彼はエンシェント・ワンに向かって「信念の力、などというものは信じない」「我々は全部物質からできている」と典型的な、西洋的な思想をぶちまけています。確かに、歴史を参照すると医学などに関しては東洋より西洋の方が発展していました。医療に関しては、西洋は肉体に根差した直接的な方法を見つけ、東洋は精神を主とする(一見)間接的な方法です。言い換えれば、ストレンジがエンシェント・ワンに向かって文句をまくしたてる場面は、「西洋vs東洋」=「物質vs精神」という争いの比喩でもあった、ととれますね。

現実でも、僕らは生まれた時から「地球は丸く、太陽の周りをまわっている」「人間は脳で考え、心臓が体を動かす」といった、科学に基づいた(西洋的な)知識を与えられて育ちます。その一方で、(東洋的な)精神に関する話は、宗教にでも入らない限り「魂は存在する」などという教えは受けません。なぜならそれらは目には見えない世界であり、現在の科学では十分な立証が得られていないからです(それでも最近は、「平行世界」や「意思が体に与える影響」といった目に見えない世界の研究が盛んで、様々な成果が上がりつつあります)。

f:id:the-Writer:20170807071035p:plain

(↑このシーンは、エンシェント・ワンがストレンジに留まらずに、観客にも向かって「目ざめよ」と説くメタ的なシーンともとれます)

したがって、あの場面のストレンジはこの世界で育った僕ら現代人の代表ともいえるでしょう。その後、彼はまずアストラル次元へとたたき出され、その後様々な次元を巡るツアーや、魔術の数々を学んでいきます。実際に目には見えない摩訶不思議な世界や概念の数々を見せられ、それを受け入れて学んでいくストレンジの姿は、僕らが魔法の世界へ入っていく案内人の役も務めているのです。

f:id:the-Writer:20170808214144j:plain

外科医=理系(そして僕らと同じ一般人)だったストレンジが、自分の理解を超えた世界を学び、修行して魔術を少しずつ身に着けていく一連の修行のシーンは、『ドクター・ストレンジ』でも特にお気に入りシーンの一つです。

 

 

 

さて、ここで『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』を参照してみましょう。

f:id:the-Writer:20170807071732j:plainf:id:the-Writer:20170807071828j:plainf:id:the-Writer:20170807071749j:plain

ここで紹介したシーンは、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の特徴が特によく表れている場面です。特に真ん中のシーンがそうですが、手持ちカメラによる臨場感あふれるカメラワーク、紺色や灰色が中心のモノトーンな色調、現代社会をキャラクターが動き回るリアルさ、それらを理解したヘンリー・ジャックマンによる音楽 などの要素が合わさり、非常にリアルで緊張が張り詰めるような雰囲気を醸し出しています(実際に本編を少しでも観てみるとわかりやすいと思います)。

一級品のサスペンスのようで、現代社会を動き回る『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』。

 

 

それを観た後に、『ドクター・ストレンジ』を観てみましょう。

f:id:the-Writer:20170807072427j:plainf:id:the-Writer:20170807072424j:plainf:id:the-Writer:20170807072436j:plainf:id:the-Writer:20170807072430j:plainf:id:the-Writer:20170807075200j:plain

 

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』で描かれた、僕らが今生きている現代社会の向こう側には、こんなに不思議で壮大過ぎる世界が広がっている……この対照性や拡張性が楽しめるのも、MCUならではなのです。 

 

 

 

その他色々

 本作『ドクター・ストレンジ』の監督を務めたスコット・デリクソン氏は、ドクター・ストレンジというコミックの大ファンだったそうです。マーベル・スタジオにおいて、『ドクター・ストレンジ』製作の話が持ち上がった時に、何としてでも本作を監督したかった彼は、下記のような苦労をしたそうです↓

この熱意には、いやはや息を漏らすしかありません。彼がそこまでして実現したかった世界が本作である、ということを知ると今度観るときにまた違った楽しみがあります。

 

ドクター・ストレンジ』は大好きですが、決して100点満点の映画ではないと思います。空間を万華鏡のごとくガラガラ好き放題に変形させる映像を使う本作は、確かに個人の好みがわかれるところではあります。そんな中で、本作に対する批評をいくつかとりあげたいと思います。

「アクションがいまいち」……これは僕もそうだと思います。パッと浮かんだのが、NYのサンクタムのvsカエシリウス戦で、ドタドタと壁を走り回る様子にどんくささを感じ、アクションの動きには目覚ましいものはないと思います。ここは、次回作ではアクション担当の監督を増やし、スコット・デリクソンが盛り込みたい要素について話し合いつつ、まだまだ改善の余地はあるなと思いました。

ドルマムゥのデザインが期待外れ」……予告編では存在が伏せられていたため、実際に本編を観た方にとってはサプライズのラスボスだったことでしょう。強大な力と底なしの欲望を秘めた凶悪な存在であり、その姿は異次元に浮かぶ巨大な顔……しかし、目が大きく、ストレンジの術中にまんまとはまる、といった強いわりにどこか抜けている感じが何ともマスコットキャラクター的です。ここで、ドルマムゥのコンセプト・アートをご紹介しておきますね。

f:id:the-Writer:20170807081948j:plainf:id:the-Writer:20170807081952j:plainf:id:the-Writer:20170807081955j:plain

神秘性と重圧を兼ね備えた人ならざる存在……といった不気味なデザインばかりです(それでいて芸術作品のごとく美しい)。

ここで、僕はドルマムゥはあれだけ強大な力を持っているのだから姿を変えるくらい容易いだろう、という解釈をしました。

f:id:the-Writer:20170807082533j:plain

恐らく、時代を超えて(ドルマムゥは時間には支配されないものの)あるいは気分によってコンセプト・アートのような姿をとることもあったものの、いよいよ本腰を据えて地球侵略に乗り出した際は、劇中で観ることができたあの巨大な顔の姿をとった、ということです。ちなみに、ドルマムゥの顔の動きとセリフの一部は、ストレンジを演じるベネディクト・カンバーバッチモーション・キャプチャーなどを使って演じていたそうですが……また考察が膨らみそうな、興味深い情報です。

 

今回は作品の構成として、非常にまとまっているといいますか、「お手本」とも言うべきキレイさです。これこれこんな主人公が事情あって挫折して、そんな中で偶然から不思議な世界へ行き、次第にヒーローとして目覚めていく……という、言い方によっては「順調にヒーローになっていく」ストーリーなんですね。たしかにキレイなまとまり方をしているので、もっとこんなシーンを入れてほしかったという意見が出るのも不思議ではありません。

f:id:the-Writer:20170807152100j:plain

しかし、僕はその構成含めて本作『ドクター・ストレンジ』の魅力だと思います。先に書いたように、スティーブン・ストレンジは現実の向こう側へ行く際の、僕らの案内人です。ならばこの作品自体が、今まで知り得なかったMCUの奇妙(ストレンジ)な世界への入門書、と言えるでしょう。また、摩訶不思議な描写や圧倒的な映像を実現できることは証明できたので、更にそれを発展……もしくはまた別の側面を見せてもらいたいです(漠然としていますね……)。原作コミックにはまだまだ映像化すべき面白いアイディアやストーリーが詰まっているはずですから。まさに優等生というか映画のお手本のような構成含めて、僕は本作が入門書もしくは教科書だなぁと思うのです。

 

最後に、お時間ある方は↓の感想も読んでみてはいかがでしょう?

ドクター・ストレンジ』を「合法ドラッグ」「四次元」と表現する文才溢れる(羨ましい)レビュー記事です。まだ『ドクター・ストレンジ』を一度しか見ていない、または未だそこまで好きではない、という方は上記のレビューを読んでみてはいかがでしょうか?まるでグルメ記事のようであり、作中の虹色の世界のごとく様々な言葉を使った上記のレビューは、また『ドクター・ストレンジ』が観たくなると思います。それで観直しているうちに本作のことがより好きになっていただければ幸いです(*´ω`*)

 

 

『ドクターストレンジ』が切り開いた可能性とは

f:id:the-Writer:20170807115620j:plain

ドクター・ストレンジ』では恐らくMCU史上初の「異次元」という概念がもたらされました。今まで『マイティ・ソー』シリーズや『アベンジャーズ』、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』などで、地球から遠く離れた宇宙についてが描かれてきました。しかし、そのどれもは「一つの宇宙=世界」にとどまっています。よって、「異次元=異なる世界」という概念は、これまでの宇宙の概念をも超える大きいものなのです

MCUでは、「アース」という概念が取り入れられています。原作コミック、MCU以外のマーベル実写映画、ドラマ、そしてこのMCUも、それぞれ一つの平行世界という体がとられています。

ドクター・ストレンジ』では、無限の平行世界が存在するということを「マルチ・バース(多元宇宙)」と呼び、ミラー次元、アストラル次元、暗黒次元などが描かれました。ここで、MCUはマーベル・シネマティック・ユニバースと、一つの次元という名前です。よって、このマルチ・バースという多(次)元宇宙に、MCUも含まれるでしょう。

敢えて再度記述しますと、マーベルが創り出す多元宇宙の中には、原作コミック・MCU以外のマーベル実写映画・ドラマ・MCU・ミラー次元・アストラル次元・暗黒次元……とまさしく「無数の」平行世界が存在していることになります。ドクター・ストレンジ』は、MCUが異次元の存在に初めて踏み込んだ、ともいえる作品なのです。

f:id:the-Writer:20170807115602p:plain

作中の描写を観る限り、スリングリングというどこでもドアによって、どんな場所にもすぐに行け、異次元への出入りすらも可能なようです。

今は不可能ですが、例えばX-MENといった権利上クロスオーバーがまだできないマーベル・ヒーローたちとも、製作会社間に何か大きく変化があれば。ドクター・ストレンジX-MEN達を連れてくる、という展開があるかも……?

 

 

 

 

以上、『ドクター・ストレンジ』の感想でした。

初見の際は「まぁ、映像はすごかったよね」という素っ気ない感想だったものの、MCUにおけるドクター・ストレンジの能力や立ち位置、その意味を後から冷静に考えてみると、非常に重要であることがわかりました。確かに単品映画の完成度としてはぶっちぎりで優秀……とまではいかずとも、ヒーローのオリジンとして十分楽しめました(個人的には『アイアンマン』と同じくらい)。

しかし、映画としての完成度とどれくらい好きか、というのは別物であり、僕は今作が大好きですし、だからとても楽しむことができます。『ドクター・ストレンジ』は教科書であり、僕はこれから何度でも読み返していきたい、と思うのです。

 

f:id:the-Writer:20170807083751j:plain

marvel.disney.co.jp