【ザックを】なぜDCEUにこの男が必要だったのか【讃えよ】

※本記事はザック・スナイダーをひたすら褒め称えるものとなります。「彼の作品はちょっと……」という方はブラウザバックを、DCEUにも興味のある方などはこのまま読み進めていくことをお勧めします( ゚Д゚)y-~~

DCエクステンデッド・ユニバースDC Extended Universe (DCEU))は、アメコミDCコミックスに登場するキャラクターを主人公としたスーパーヒーロー映画の一群が共有する架空の世界、及びその作品群である。日本では「DCフィルムズ・ユニバース[1]」という呼称も用いられている。

2013年実写映画『マン・オブ・スティール』から始まり、2016年から2020年まで毎年2作公開の製作予定が発表されている[2]

 

概要[編集]

様々な「DCコミックス」の実写映画化作品を、同一の世界観のクロスオーバー作品として扱う作品群である。映画雑誌エンパイア』の2015年9月号の中で、この架空世界の名前が「DCエクステンデッド・ユニバース」であると明かされた[3]DCコミックスのスーパーヒーローたちが作品の枠を超えてチームを結成する『ジャスティス・リーグ』(コミックでは1960年初出)の映画化を目指して企画された。

出典:DCエクステンデッド・ユニバース

 

DCコミックスアメリカン・コミックスの元祖ともいえる出版社であり、スーパーマンバットマンといった誰もが知るようなキャラクターはここから生まれています。マーベル・スタジオはDCコミックスの後輩であり、2社はライバル的な関係にあります、2008年にマーベル・スタジオがパラマウント配給で公開した『アイアンマン』を皮切りにスタートしたマーベル・シネマティック・ユニバース、計画を発表した当初は「うまくいくわけがない」「無謀」と評されるような代物でしたが、繰り出される作品の数々はどれも人気を博し、今やMCUは大成功を喫しています。その人気ぶりは世界的に知られるスター・ウォーズに肩を並べるほどであるといっても過言ではないと思います。一見別物に見える作品の数々が実はつながっており、一つの大きな世界が構成されていく手法は「シェアード・ユニバース」と以前から言われてきました。MCUはそのシェアード・ユニバースを、金と時間がかかる一発一発がでかい映画の単位で成功させました。それに目をつけた数々の映画製作会社、今や様々なユニバースが生まれています。

映画製作の原作となるコミックスではDCの方が歴史は長いですが、実写化においてはMCUの後を追うような形でDCEUは成立しています。今やインターネット上のメディアによって、映画の製作期間中から監督へのインタビューや撮影現場の盗撮画像、リーク情報に至るまで様々な情報が知れ渡るようになりました。MCUは基本的に順調な知らせばかりですが、DCEUは不穏な知らせも相次ぐような現状です。ユニバース商法では、どの作品をつくり、いつ公開するかというスケジュールを綿密に検討した予定表が命です。MCUは大きな変更はあまりないまま計画通りに製作が進んでおり、評価も上々です。DCEUは現在5作品が公開されていますが、製作は波乱万丈であり評価も割れています。また、後からポッと新しい作品の企画が浮上しては何の音さたも無くなる……という事も珍しくありません。

そんなDCEUの礎といえる人物がザック・スナイダーザック・スナイダーが監督した『マン・オブ・スティール』『バットマンvsスーパーマン』『ジャスティス・リーグ』はそのどれもがDCEUにおいて重要な役割を担っており、この3作によって描かれたヒーローたちがDCEUにおける主要キャラクターであることから、彼らを撮ったザック・スナイダーはDCEUの創造主ともいえる立場です。

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BvSで顕著に表れたのが、彼の作風に対する風当たりです。そもそもこの作品自体、DCEUの2作目にして世界観の拡大に向けて様々な要素が詰め込まれた挑戦的な一本です。興行的にはヒットを記録し、それどころか5作品が公開されているDCEUでは(2018年3月現在)トップの興行収入ですが、問題は作品に対する評価です。特に批評家たちからの意見がよろしくありません。「スーパーマンが出ているのに暗すぎる」「詰め込み過ぎて作品として成り立っていない」……などといったレビューが、BvSの批判的なレビューの代表的なものでしょうか。

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JLの記事で書きましたが、僕はMoS,BvSの2作を共に問題なく楽しんでおり、ザック・スナイダーが敷いたレールに沿って形成されていくDCEUの大ファンです。基本的に好評なMCUに比べ、意見が割れるDCEU。人によってはザック・スナイダーを戦犯と形容することもあるでしょうが、そんな強いクセを持つ彼はDCEUにとってどんな人物だったのか。僕はザック・スナイダーこそDCEUに必要な人物だと思っています。僕には原作であるDCコミックスについてはさっぱりわかりません。原作と比較してどうこうなどとは語れない故、あくまで映画的な視点からとはなりますが。なぜ彼こそがDCEUにいなければならなかったのか、僕なりに感じる彼の魅力をお話していこうと思います。

ワーナー・ブラザーズに言わせる「誰もが知るヒーロー」たるスーパーマン。彼がエイリアンであるという設定は知られていなくとも、全身青タイツに赤マント、胸に輝くSのシンボル、空を自由自在に飛び回るマッチョメンといった特徴は、まさしく誰もが知るものです。彼はMoS,BvSでは主人公を務め、JLでは一種のマクガフィンとして機能。MoS,BvS,JLのスーパーマン・トリロジーがDCEUの根幹をなしていることを考えると、彼はDCEUの中心的な人物と言えます。

f:id:the-Writer:20180320083546j:plain彼の誕生と、ヒーロー「スーパーマン」としての駆け出しを描いたMoSは、過去作の雰囲気とは明らかに異なります。色あせたような色調、陰影がくっきりとついた映像、深いセリフの数々、壮大な音楽、現実世界に即したリアルな展開、絵画のようにキマったカット、全編にわたってシリアスな雰囲気など、現代のスーパーマンとして彼はスクリーンに蘇りました。

正直これらは「トーンが暗い」「しみったれた雰囲気」と言われても仕方がないかな、と思います。そしてこの雰囲気は続編のBvSにそのまま受け継がれ、20年もゴッサム・シティの自警活動を続けて疲れ切り、乾いた憎しみを抱えて希望を失っていたバットマンが参戦したことで、批判はさらに大きくなりました。最終的にそれに業を煮やしたワーナー・ブラザーズによる「明るい」政策に基づく改革がJLに入り、本来の作品の路線からは大きくそれたことはJLの記事で書いた通りです。

上記に挙げた特徴の数々は全てザック・スナイダーが意欲的にDCコミックス実写化作品に取り入れたものです。以前、ザック・スナイダーMCUについて言及したインタビューでMCUで続々と実写化されていく「○○マン」といったヒーローたちを批判しつつ、「僕らは神話を作っているんだ」と語りました。MCUについての発言はMCUファンや俳優から反発を買いつつも、彼の志に関する発言こそが彼のDCEUに抱いているヴィジョンであると思われます(正直あの発言に関しては「ザック余計な事言うなや……」と閉口しましたが)。カラフルさに欠け、基本的にシリアスな雰囲気、キマっているカット。これらの要素が絡み合う事で、一連の物語は非常に密度が濃いドラマとなりますが、便宜上これをまとめて「神話っぽさ」と呼びましょう。

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僕はこの「神話っぽさ」は、少なくともDCEUの序盤には必要なものであり、ザック・スナイダーにしかできないことだと思いました。彼の「神話っぽさ」は彼にしかできない。僕はその「神話っぽさ」がDCEUというユニバース、ワーナー・ブラザーズのドル箱に必要な要素だと思います。今やMCUに続いて、ダーク・ユニバース(ユニバーサル),モンスター・ユニバース(レジェンダリー)といったユニバース物が立ち上がっています。さらに激化していくハリウッドで、DCEUには何かこれだ!という決め手、強い武器が必要です。僕はそれが、「神話っぽさ」だと思うのです。

 

 

「シリアスさ」の正体は、観客とキャラをつなぐ橋である

尤も、これだとDC=ダーク・シリアスという認識を生み出しかねません。というより、既に出来上がってしまっていると思います。批判が示す通り、この雰囲気はとても万人受けするものではありません。しかし、そのいわゆるダークさにもしっかりと理由があると思います。

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ダークと称される個所は、色あせた色調以上に、恐らく登場人物たちの葛藤する個所かと思われます。なぜ現代のヒーローたちは葛藤するようになったのか?それは葛藤する登場人物には観客が感情移入しやすくなるからだと思います。葛藤を描くという事は、登場人物の心理的な動き・迷いをじっくりと描くという事です。その思考のプロセスを丁寧に追って描くことは、観客がその登場人物の思考及び行動を追い、理解することで感情移入することを可能とします。それは、観客の心に残りやすくなる。

IMAXという壁一面がスクリーンになった劇場、VRで見る映画、そして『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が示した「これからは誰にでも主人公になれる」というメッセージ。今や映画はただ見て楽しむことから、(徐々にではありますが)観客が映画と一体となって楽しむ方向性への変化を感じます。また、今の時代はスマホの普及などのデジタル化によりあらゆる情報や思想が飛び交う社会となりました。特に、その中で育つ子供たちが生きる世界とは、彼らの親の世代からすら、様相がかなり異なるはずです。DCEUがおそらくターゲットとする思春期の子供たちに、心の支えとなる存在を。身近に感じてもらうために、あの様な仕上がりとなったのではないでしょうか。

スーパーマンを例にとって考えてみましょう。ザック・スナイダーMoSで描き出したスーパーマンを筆頭とするクリプトン人の力は絶大なものです。彼らは超スピードでの移動、音速を突破した速度での飛行、どんな衝撃もほとんど受け付けない頑丈さ、挙句の果てに両目から打ち出すヒートヴィジョン。コミックの強さをそのまま現実世界に反映させた結果、都市のビル群が次々に破壊されてがれきと化していく映像はとても印象的です。言ってしまえばチートですよね。

そんなパワーを持つ人物が、最初からあまり苦悩せず、順調に恋をし、人助けをする笑顔が素敵なナイスガイだったら?そのような明るい雰囲気は、確かに誰でも楽しめるでしょうが、映画を楽しむ深みが損なわれると思うのです。この非現実的な強さを大真面目に実写化する代わりに、その人物は観客と何ら変わりない葛藤する人間であるというギャップ。ある意味カウンターウェイトであり、実在しそうなリアルな人物としてのバランスがとれます。これによってスーパーマンというコミックのキャラクターはただのフィクションのキャラクターではなく、実際に悩み、傷つきながらもヒーローに成長していく一人の人間として、観客の心に残るのです。

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クリプトンの息子、クラーク・ケントは人間らしい泥臭い葛藤を乗り越えていく事で、往年のコミックで描かれたような笑顔がまぶしいみんなのヒーロー、スーパーマンへと成長していきます。このじっくりと描かれる過程は、その変化こそが美しいのではないでしょうか。こうしたリアルな心理描写をなされたキャラクターと、VFXを駆使したいかにもコミックらしいダイナミックな映像の組み合わせが、DCEUをDCEU足らしめていると思います。アイデンティティーと言っても過言ではないでしょう。

 

 

映像が美しいザック

次に、ザック・スナイダーは非常に画づくりにこだわる監督です。職人といっても良い。2人の人物が会話するシーン、映画ではよくある状況であり、通常2人の顔を映して交互に切り替えていく方式だと思います。また、照明も背景に当たってフラットな印象を与えることもあります。しかし彼は、会話シーンですらこだわります。

f:id:the-Writer:20180320131334p:plain表情はいわずもがな、人物の配置や照明で付けた陰影により、人物の置かれている状況や心境を現しつつ、それだけを切り取ってもこだわりのあるカットになっています。個人的に、彼が撮った映画は全編にわたってどのカットも余すことなく、構成的に美しいなあと感じますね。先に書いた、「ダークさ」「シリアスさ」に輪をかけているのが陰影をくっきり付け、色あせたような色調です。しかし僕は彼は何でもかんでもむやみに色調を落としたり暗めに撮っているわけではなく、しっかりした理由があるからこそそのような撮影を行っていると思います。MoSは色あせていると言われても仕方がないような映像ですが、BvSでは撮影監督のラリー・フォンの働きもあって暖色系のベージュ的な色調が印象的です。そして、JLでは僕が「彼はむやみにダークな映像を撮らない」と述べた根拠となる考えを抱いていたことがわかります。

「ザックはとても優しく話しやすい人でした。彼は原作のコミック本とキャラクターたちの大ファンで、その世界について深い知識を持っています。プロダクションに対する彼の全体的なアイデアを1時間ほど聞き、その映像の実現に向けて進めていきました。一連の他の作品のような、様式化して彩度を落とし、コントラストを強くした映像は避けたいとザックは考えていました。僕は自然な照明を好むタイプなので、その考えは僕の作品の価値観にぴったりでした。『ジャスティス・リーグ』を35mmフィルムで撮影するのはすでに決まっていたことで、僕は何年もフィルムでの撮影をしていませんでしたが、期待に胸がふくらみました」とワグナーは続けました。

出典:映画『ジャスティス・リーグ』の自然派のルック、及びVFXやCG制作を支えたコダックの35mmフィルム

ダークと称するのは簡単ですが、僕はこれによって作品に決定的な印象付けを行うことができる上に、非常に見ごたえのある映像に仕上がっている、と思います。照明と陰影にこだわった映像は、人物の顔の表面の凹凸から背景となる舞台まで、どこに目をやっても飽きないような仕上がりです。平たく言うなら、奥行きのある映像となり、一回見たらそれで終わりといった映画ではなく、何度観ても満足度が高い仕上がりとなっていると思うのです。

そうした仕上がりによって後押しされるのが、僕が何度も述べている「キマッている」カットの数々。他作品では見られない、「うぉーーーっっあぁぁ!!」と盛り上がり度合いが群を抜くのが彼の特色であると思います。今までじっくりキャラクター達の思考と行動、それによって生じる物語の流れをカメラで追ってきた後に、いざコミックをそのままトレースしたかのようなかっこいいカットが映るのは彼の醍醐味と言ってもいい。アツい場面ではコミックのようなカッコよさを、悲しい場面では絵画のような美ししさを。アニメや漫画でしかできないような構図を、まさかの実写でそのまま再現する辺りに彼の監督としての見事な腕前と確固たる意志を感じますし、彼はそれをどのタイミングでぶつけるのがベストかもよくわかっているのではないかと思います。

\うおおおおおおおおおおおお‼‼/

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また、彼の持ち味としてアクションシーンも外せない。この点に関しては彼は天性のアーティストでしょう。積極的に戦いの舞台となる場所の特徴を利用することで、コミックのキャラクター達のパワーを示す。自由自在にフィールドを駆け巡るカメラでキャラ達の印象的な動きを捕らえる。アニメやゲームの映像を、VFXを駆使してそのまま実写化したようなダイナミックな映像は見事の一言に尽きます。普通はやらないようなこうした映像づくりを大胆に映像化に持っていく彼の決断と手腕はいやはや舌を巻きます。ザック・スナイダーが撮る映像は、照明によって陰影がくっきりとついて深みが出て、こだわりの色調調整によって美しく雰囲気を醸し出され、フィルム撮影による顆粒感ある仕上がりとなっています。僕は特に西欧の建築や絵画といった美術に興味は特にないですが、このように重厚感溢れる映像で紡ぎ出されるDCEUのヒーローたちの物語には惚れ惚れとしてしまいます。

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ストーリーテラーとしてのザック

画づくりに加え、もう一つ外せない点があります。ザック・スナイダーは何もただ任せられたから映画を撮る仕事人ではありません。特にBvSの舞台裏映像である、彼へのインタビューをみるとわかりますが、ザック・スナイダー自身がDCコミックスの大ファンです。彼のDCコミックスに対する造詣は深く、唯一無二のヴィジョンを築き上げています。そんな彼が指揮を執ってスクリーンに映し出す世界観は非常にユニークです。僕は彼が優秀なストーリー・テラーでもあると思うのです。MoS, BvS, JL……急速に拡大していく世界観と唐突な衝撃展開は、MCUに比べると非常に駆け足で無茶な展開であると思います。しかし、そんな無茶の中にこそ、ザック・スナイダーはストーリーを見出し、大まじめに取り組みました。

f:id:the-Writer:20180320084324j:plain希望の象徴であるスーパーマンは、充実したトリロジーを通してスーパーヒーローへと成長していきます。MoSでは誕生とはじまり、BvSでは挫折と死、JLでは復活と完成というように。その中でもこれまで5つも作られてきた実写化作品ではやらなかったような、スーパーマンの新しい一面が開拓され、彼一人で非常な密度を誇るキャラクターです。人間らしい葛藤を抱えつつも飛び回るスーパーマンは、煮詰まった怒りと絶望を抱えて老いバットマンへの転換期となりました。

f:id:the-Writer:20180320140937p:plainブルースにとって、スーパーマンとは初めはそのやり場のない鬱々とした感情の掃き溜め・永らく見失っていた生きて戦う目的になりました(少なくとも僕はそう思っています)。しかし、執念でスーパーマンに対してほぼ勝利をおさめかけたところ、スーパーマンの発した一言が彼のバットマンとしての起源の記憶を呼び覚まし、それをきっかけに様々なものを再び得ます。彼の人間性、自分の責任、そして人類を守る使命など……そうして彼は長かった日陰からようやく日の元へ踏み出すこととなりました。

f:id:the-Writer:20180320141106j:plainそして、ダイアナも何も知らなかったセミスキラの少女時代から、大勢の人間たちの想いが渦巻く人間界へと飛び出して現実を知り、「暗黒の100年」で自分の正体と本当の自分を周りから閉ざしながら生きてきました。しかし、ドゥームズデイという絶対的な脅威との戦いに身を投じたことから、彼女もまた日向へ踏み出すこととなり、徐々に仲間を得る喜びと世界を守る希望を再び手にすることとなったのです。

まだ詳細は不明ながらそれぞれの試練にぶつかった過去を持つバリー,アーサー,ビクターもジャスティス・リーグの結成によって、今後たどる道筋は孤独でいるはずだった時から、よりよい方向へと大きく変わったことでしょう。

BvSはリーグの中心人物たちの邂逅の出来事であり、明るい明日への、正義の夜明けを迎えた瞬間の物語でした。そしてJLでは、それぞれの能力を備えた6人の超人が、逆境・谷・闇から這い上がり、出会い、影響を及ぼし合い、団結し、彼らの旅路が永遠に変わる事となりました。

これでもかなり大雑把な語り口になってしまいましたが、ザック・スナイダーが意図したスーパーマン・トリロジーはこのような感じであると思います。これはもはやワーナー・ブラザーズが焦って立ち上げたMCUの後追い企画ではありません。スーパーヒーローたちの辿る壮大で興味深い物語≒神話、といってもいいでしょう。

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実際、それを体現する数々のキャラクター達は知名度云々ではなく、豪華なキャスト達によって構成されています。ヘンリー・カヴィルベン・アフレックガル・ガドットエズラ・ミラージェイソン・モモアレイ・フィッシャーなど……この6人だけをとっても外見と演技に特徴がありながら、非常に役柄にハマったキャスティングだと思います。もはや本人そのものであり、特にカヴィルやガドットの顔は西洋の彫刻を思い起こさせるような美しさであり、ザック・スナイダーの目指す「神話っぽさ」を体現する顔だと思います。そして彼ら一人一人のコスチュームも素晴らしい。MCUのヒーローたちはコミックのデザインを「もしも現実に合ったら」という方針でリアルに落とし込んでいますが、DCEUはリアルに落とし込んでいるものの、どちらかというとその特異な意匠は残しつつ、それを極限までリアルにかっこよくアレンジしているように思えます。一見原作コミックとはかなり違うような実写化デザインでも、細部までこだわりぬいた複雑でかっこいいコスチュームは、そのゴージャスさによって「神話っぽさ」を更に後押しします。

 

漫画や小説の実写化作品について、「何が正しいのか・どうするべきなのか」という実写化作品の哲学に関して僕はまだ答えは出せてはいないですが、DCEUは非常にユニークです。よって、このいわゆる「ダークさ」を「こんなのDCコミックスじゃない」と批判する方もいるでしょう。僕は原作のDCコミックスにはさっぱり知識が無いので、原作と違うといった批判にはどうにも何も反論できないというのが現状でしたが……「僕が精通している作品が映画化され、一見原作とはまるでかけ離れているようなものの、映画はしっかりと原作から独立した魅力を備えており、一本の作品として面白い」……そんな例が実は僕にもありました。東映スーパー戦隊です。

2017年公開のディーン・イズラライト監督による『パワーレンジャー』は、同じくシリアスっぽい雰囲気であり、更に基本中の基本というかスーパー戦隊のお約束というべき「変身!」といった掛け声や必殺技すら存在しません。それでもこの作品が面白いのは、パワーレンジャーとなる5人の高校生たちに寄り添い、彼らの掛け合いを徹底的に描いたことによると思います。メインと目されたスーパー戦隊らしい描写が意外と少なくても、一本の魅力的な作品として確立しました。

実際、JLスナイダー・カットを求める署名運動の発起人であるRoberto Mata氏も、幼いころよりDCコミックスの漫画やアニメにどっぷりと浸かった日々を過ごしており、原作によく精通している人物であると思われます。しかし彼はDCEUをとても楽しんでおり、「明るい」政策の下大きく作り直され、一見すると原作に忠実な仕上がりとなった劇場版JLに満足いかずに、上記の署名運動まで起こすほどでした。あくまで一個人の感性ではありますが、原作のDCコミックスを熟知している人物が起こした運動は、既に17万人以上の人物の心に訴えかけるほどです。

そこまでさせるほどの映画を撮るザック・スナイダーは原作となるDCコミックスを深く理解した上で、ただの実写化に留まらない、唯一無二の魅力を持った作品を創り出してきました。改めてMoSをみてみると、思わぬところでBvSやJLにつながる個所があったりして、彼が確固たるヴィジョンを持って製作に取り組んでいたことがわかります。ただスタジオが定めた計画に沿うのではなく、非常に深い本質的な部分でつながった壮大な三部作。こうして書いているだけでワクワクしてしまいますね。

 

以上に挙げたのがザック・スナイダーによって築かれた物語であり、僕はそれが非常に好きです。特に数々の挑戦的な展開を詰めに詰め込んだ充実の問題作BvSは僕の心の一本の一つと言ってもいい。スーパーヒーローの物語は基本的にフィクションであり、楽しい勧善懲悪の物語です。よってスーパーヒーローの物語現代の民話と言えます。

そんな人知を超えた力による、一見爽快な活劇の根底・核に大切なメッセージが込められているのなら、それを神話として描こうとするアプローチは間違ってはいないと思います。しかし、DCEUがいつまでもこの方針でいくことはできないし、僕も実際そうなるべきではないと思います。やはり長期間存続し、人々の興味に訴えかけていくには何らかの変化が必要であり、ザック・スナイダーが敷いたレールはいつかは終わりを迎えるときが来ると思っています。もしかすると、それがJLスナイダー・カットなのかもしれない。

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ザック・スナイダーが築き上げた世界は、一見伝統的な原作コミックのそれとは異なり、原作はあくまでインスピレーション元として、その本質をくみ取りつつ唯一無二のDCEUとして出来上がりました。JLで一旦完結を迎えたDCEUは、今度から今までよりも原作を取り入れていく方針に向かっていく気がします。一見原作から異なるような複雑でリアルなデザインが、徐々に原作のコミック調のそれに近づいていくように、JLでDCEUはやっと日の光を浴びる時期に到達しました。これからはDCコミックスが元から掲げていた楽観・希望といったテーマをよりストレートに表すことができるでしょう。

神話を目指して濃厚な画を撮るザック・スナイダーの起用は、DCEUの一風変わったキックスタートでした。JLまでで、DCEUは基本的に押さえておきたいところは構築が完了しました。そしてより多くの原作ファンが満足できるような希望が詰まったDCEUは、ここから始まるザック・スナイダーは一見すると超人的なパワーを持つキャラクター達をじっくりと描くことで、その存在と彼らの下す決断に十分なリアリティを与えてくれました。そうしてじっくりとヒーローまでの道のりを描くことで、これからはよりコミック然とした明るく楽しい冒険も可能となります。とはいえ、それも唐突に明るくし過ぎると、MCUとの区別がつかなくなり、DCEUはその意義やアイデンティティーを見失い、競争において自らの首を絞めることとなりかねません。ザック・スナイダーの築いた「神話っぽさ」をどれだけ作品に盛り込んで、DCコミックスとして、DCEUとしてのバランスをとって成立させるかは個々の監督にかかっています。

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非常に個性的な作風を誇る彼ですが、彼を迎え入れるという決断も、そして彼が批判にとらわれ過ぎずに彼なりに全力を尽くしてくれたことは非常に喜ばしいです。スーパーマンイエス・キリストになぞらえて描いたり、どんなシーンであっても撮影をテキトーに済ませずに美しい映像として仕上げるなど、彼の職人魂や語り手としての才能には舌を巻いてしまいます。あれだけの「カッコつけ」を全力でやり切ってくれるクリエイターは他に居ないでしょうし、実際彼が大きな役割を担ったDCEUは追及のし甲斐がある非常に濃い世界になりました。だからこそ、僕のようなファンの心を魅了してくるのです。ザック・スナイダーの名のもとに精力的に映画製作に携わってくれた数々のクルーの方々にも感謝が絶えません。これだけ夢中になれるシリーズを創り上げ、提供してくれてありがとう、ありがとう……そんな感じです。

 

 

 

 

 

DCEUにおけるザック・スナイダーの魅力でした。彼が映画製作において発揮する個性は強烈なものですが、それがDCEUに符合し、この競争が激化する業界で生き残るための方向性を示してくれたと思ってます。ワーナー・ブラザーズが一度JLでやろうとした「明るい」方向性なら万人受けはするでしょうが、それを行うタイミングや方法を誤っってしまったのではないか、と思います。実際、JLは興行収入はシリーズ中最下位という不本意な結果に終わっています。

先に書いた通り、ザック・スナイダー自身がDCコミックスのファンなので、彼は独自のスタイルに従って映画を作りつつ、ファンをしっかりと大切にしていると思っています。この「神話っぽさ」は「明るい」方針よりもウケる人数が少なくなりますが、非常に特徴的で密度が濃い分、それだけファンの心に残り、また新しいファンの芽を育てるでしょう。実際にこの記事を読んでくれた方が、MoSやBvSを少しでももっと好きになってくれれば本望です。僕は何もザック・スナイダーの信者、つまり彼の作品をすべて鵜呑みにするほどの大ファンかと言えばそうでもありません。実際まだ『300』は観ていないですし、以前『ウォッチメン』を見た時には途中で挫折しました(;´・ω・)

もう何度も同じことを言っていますが、彼は自分のスタイルを自覚したうえで、DCコミックスのヒーロー達をスクリーンに蘇らせる際に自分のやるべきことをわかっており、それを実行する力があります。そんな彼が思い切り手腕を振るった世界観は僕を虜にし、心の支えともなるほどです。僕は、ザック・スナイダーが作り上げてくれた、DCEUのヒーローたちが大好きなのです。