SWキャラの顔が変わり過ぎ問題について

こんにちは、最近はSWにどっぷりと浸かっているthe-Writerです。

日本だと米国に先駆けてMCU10年目の集大成『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』が4/29に控えており、ファンなら期待だけで正気を失うレベルの化け物作品なのですが……今は何とかSWに集中することで『インフィニティ・ウォー』までの時間を長く感じずに済んでいます(-ω-)

『エピソード8』の感想記事を3本も書いた後なので、今回は比較的軽めな調子でいこうかと思います。ライアン・ジョンソン監督が全力で作り上げたものに全力で挑んだ後というのは心地よい疲れがありますが、疲れは疲れですからねw息抜きは必要です。

 

えー、映画でよくあることと言えば、登場人物の子供時代と大人時代をそれぞれ異なる俳優が演じる……これは当たり前ですよね。とはいえ2人で1人の同一人物を演じる以上は説得力を持たせるため、メインとなる大人の俳優にどれくらい似た子役をキャスティングするかは、作品によって異なります。

そんな現象が頻繁に起こり、更にデリケートな問題と化すのがスター・ウォーズというシリーズです。先ほど挙げた例の如く子供時代と大人時代ならまだいいのですが、たった数年しか間隔があいていない設定なのに演じる俳優、つまり同じキャラクターの顔が微妙に違う……というのもSWではよくあるケースです。更に、前回の記事で述べたようにある程度SWに慣れ親しんだファンとなると、「拘り」というものができてしまうので、自分が良く見知ったキャラクターが新たに違う俳優に演じられるとなると、それに抵抗を示すというケースはよくあること。

ファンの方なら一度は経験したあるあるではないかと思います。ライトなファンや一般客の方ならほとんど気にしないのかもしれませんが、ウォーザーであり、そういう細かいことが気になってしまう性格の僕としてはある程度はケリをつけておきたい問題です。 SWは様々な時代をとびとびに語るので、こういったケースは往々にして起こるんですよねぇ。

 

なぜ今わざわざこれを持ち出したのかというと、これです。

いやあ僕は前からずっと楽しみにしていた一本なのですが、「A Star Wars Story」と銘打たれたアンソロジー・シリーズ第2弾の主人公はハン・ソロ。特に昔からのファンの間では、ルークやレイアと並んで伝説級のキャラクターであります。そんなハンの若かりし頃に起用されたのが、オールデン・エアエンライク(表記は公式サイトに倣いました)。

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そんな彼の顔はファンの間で物議をかもしました。ルーカス・フィルムが行ってきたこういったキャスティングは、もはやSWのお家芸となっている気がしますが、「顔が違う問題」について僕の考えを書いていこうと思います。

 

 

顔が変わってきたキャラクター達

……そもそもこの「顔が違う問題」はそれこそ観客の感性が関わるので、なかなかデリケートな問題ですよね。ここでは僕が思いつく限りで、SWで複数の俳優が同じキャラクターを演じている事例を挙げて観ようかと思います。幼少期~青年期なら、「まあ、こういう成長もありえるかな?」と納得は可能ではあると思うので、あまり顔が変化しないはずの大人の時期で、演じる俳優が異なるケースに絞っていこうと思います。

アナキン・スカイウォーカー, オビ=ワン・ケノービ, ウィルハフ・ターキン, ラーズ夫妻, モン・モスマ, (例外:ヨーダ)……

 これはあくまで実写化作品に限ったものであり、同じ正史(カノン)に属する『クローン・ウォーズ』,『反乱者たち』,『フォース・オブ・デスティニー』といったアニメ・シリーズまで加えると、真面目に考えるのは更に大変になります。設定上は同時期であっても演者が違う・声が一旦変わってまた元に戻る(実写→アニメ→実写と経るので)、なんてケースもあり得ます。

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なぜ顔が違う=役者が違うのか?それは製作上の都合の他なりませんね(身も蓋もない)。

新たに描くのが既存キャラクターの若かりし頃にしろ老いた後にしろ、そのキャラクターを演じた俳優に続投してもらうのがベストです。しかし、SWの場合何十年も前につくられた映画のキャラクターの、それも若いころの姿になるので当然続投はほぼ不可能となるので新たにキャストを雇う必要があります。……とまあ当然のことをつらつらと書きましたが。

そして、その新キャストとはどうやって、なぜ選ばれるのか?これは完全に僕の推測になってしまうのですが……

顔はオリジナルの俳優に似ているか、というのはもちろん重要な点なのですがルーカス・フィルムがそれ以上に重視している点があるように思えます。それは、新しいキャストが演じてもらいたいキャラクターの「本質」を備えているかどうか、という事です。格好良く言えば「魂」を感じさせる演技ができるか、俗っぽく言えば演技がそのキャラクターっぽいか。

たとえば、オリジナルの後に製作されたプリクエルの主人公であるアナキン。オリジナルの悪役であるベイダーとは、恐怖の象徴・威圧的・それでいてどことなく哀愁と葛藤を感じさせるキャラクターでした。そんな彼の若かりし頃の姿にキャスティングされたのは、ヘイデン・クリステンセンというあからさまな美形です。オリジナルから忠実に追ってきたファンが唯一知っていたベイダーの素顔はセバスチャン・ショウでした。

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言ってしまえば、似ていないです。更に、そんなヘイデンの演技は『エピソード2』『エピソード3』を通して、まだ未熟な響きを持つ演技でした。「あのベイダーのかつての姿なんだから、きっとこうに違いない」と「拘り」を持っていたファンの中に、拒否感を持つ方も少なからずいたのではないでしょうか。ファンの反応はともかく、創造主のルーカスにとってのアナキンとは「そういうもの」でした。ヘイデンをキャスティングしたのは、「彼がダークな雰囲気を持っていた」からだそうです。傍に居る観客から見たら顔が違っていても、ベイダーというキャラクターを作ったルーカスは、ヘイデンの中にこそ、のちのベイダーに繋がる暗黒を抱えた若者を見出したのではないでしょうか。ヘイデンはアナキン及びベイダーの「本質」を体現できる俳優だったという事です。

ならば、オビ=ワンに関してもそうです。

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そして、ハン・ソロも。

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ルーカス・フィルムのキャスティングで重視されているのは、本質≧顔という気がします。とはいえ、キャスティング係は作品によって違うでしょうし、常に僕の思った法則通りというわけでもないでしょうが……。顔はそりゃ似ていた方が良い。けど、演技がそのキャラクターそのものなら、顔は大体似ていればいい。

『ローグ・ワン』のターキンとレイアについてですが、製作時にはルーカス・フィルムには「絶対に『エピソード4』につなげる」という固い意志がありました。それは必然的に『エピソード4』の描写に忠実なものになり、ターキンとレイアは最新の映像技術によってほぼ本人という形で再現が可能となりました。

 

一通り例を検証し終えたところで、SWの重要な性質を確かめたいと思います。

SWとは、おとぎ話です。おとぎ話とは史実というよりも伝説に質が近い。つまり、同じ事柄でもそれを伝える口によって異なってしまうことがあり得る……と僕は解釈をしています。SWとは伝えようとしている物語の根底にある本質さえ間違えたりしなければ、作品間の矛盾は存在したとしても、それはおとぎ話として許容される範囲のものであると。

僕がその解釈の裏付けとして挙げたいのが、「SWはバージョンによる違いがある」という例です。たとえばファンの間では有名な『エピソード4』のHan shot firstや、『エピソード6』の霊体アナキンの顔があります。こうした違いはまず、当時オリジナルの劇場版が公開され、後にジョージ・ルーカスが映像をプリクエルに近づけるため、VFXを付け加えるなどして改修した特別篇が製作されたといった経緯によるもの。

2018年2月の現在時点、ルーカス・フィルムは「のちにルーカスの改修を受けた『特別篇』こそがオリジナル」(≒「劇場版は存在しない」)という見解を崩していません。しかし、カノンとされ、SWの大本である『エピソード4』ですらバージョンによる違いがあるという事。

よって、遠い昔、はるかかなたの銀河系で何かしらの物語あるいは史実があった。しかし、それは語り口によって微妙に差が生じてしまう……と捉えることができます。MCUや『シン・ゴジラ』は「虚構のものが、もしこの現実世界に出現したら……」というように、コミックや特撮といった架空の存在をこの現実世界に落とし込むため、その背景となる社会・地理・時間経過なども綿密な設定を行い、極限まで現実世界に近づけ、リアルに見せる必要があります。しかし、SWはそうではありません。

 

また、SWの宇宙は最初からおとぎ話といいますか、フィクションのあそび場として設定された宇宙です。このジョージ・ルーカスが作った宇宙では、真空中で音が鳴り、ミレニアム・ファルコンは光速の1.5倍で飛び、フォースという魔法の力が存在します。SFはSFでも、サイエンス・フィクションではなく、スペース・ファンタジーなのです。ならば、ヘイデン・クリステンセン→セバスチャン・ショウ、ユアン・マクレガーアレック・ギネス、ウェイン・パイグラム→ピーター・カッシング、オールデン・エアレンライク→ハリソン・フォードも起こりえます(断言)。それに、SWは作品間どころか個々の作品内にも数々の細かい矛盾やおかしい点が存在します。ここではこれを読んでいる方の楽しみを阻害しないために、敢えて書きませんが……なので、そういった性質を持つSWは場合によってはキャラクターの顔が違うというケースも起こってしまうし、それは通常路線といっても過言ではないかもしれません(とはいえ、似ていれば似ているほど嬉しいことは確かです)。

 

f:id:the-Writer:20180223231201p:plain正直、オールデン・エアレンライクについて「無理はあるな」とは思いつつ、「まあいいじゃん」と普通に受け入れてます。というか既に好き。結局は個々の好き嫌いによるところです。まだ本編は公開されていないので「いいやこれは○○じゃない」というのは実際に映画を見てからでもいいと思います。それに、作品がどの層をターゲットに向けて作られたのかのもあると思いますし……(それについて語るのは別の機会に)。『エピソード7』以来、「ハン・ソロといえばハリソン・フォードでしょ」と条件反射的に考えるウォーザーとしての地盤が築かれていた僕ですが、『エピソード8』を経てもっと柔軟に行こうと思いました。

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既に、僕の中ではハンというキャラクター像が拡大しつつあります。惑星コレリアに生まれた少年はベケットが父代わり、幼馴染のキーラと過酷な環境を生き抜いてきた。その後、一度帝国に身を置きながらもランドと悪友になり、チューイと唯一無二の信頼関係を築いていき、賞金稼ぎとなってジャバの元で働き、ひょんなことから銀河帝国を倒す戦争にまきこまれる……そういう新しい地盤ができつつあります。まだまだ若く、エネルギッシュなハンが繰り広げる冒険をスクリーンで見たいですね。

 

SWのキャラクターたちにとって顔とは何なのか

まとめると、SWのキャラクター達の顔が違う理由は、

キャスティングの事情(大本の理由)

→①新キャストが旧キャストの演じた「本質」を持っている

→②SWの宇宙では顔つきが変わるような成長が起こりうる

という2通りになります。

どちらかと言えば、①は僕ら観客の現実世界に根差した理屈であり、②は架空のSWの作中世界に根差した理屈であると思います。①,②はあくまで「なぜ顔が違うのか」という疑問に対する答えですので、どうせなのでもう一歩踏み込んだことも少し書こうかと思います。

顔は、キャラクターの内面=「本質」(の一部)を表しているという説を提唱したいと思います。SWにおけるキャラクターは、まず描きたい性格を持ったキャラクターがあり、キャスティングされる俳優の顔や声というのも、その描きたいものを描くための手段となります。言い方を変えるならば、顔があっての内面ではなく、内面あっての顔という事です。顔が、そのキャラクターの内面を表しています。これはフィクション、特にSWというおとぎ話ならではの芸当です。ハンで例えるなら、オールデン=若く無鉄砲な男から、ハリソン=海千山千の不敵な男になっていく、という道のりです。

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初めて『ハン・ソロ』の特報で若いハンの声を聞いた時、「まだ未熟な若者っぽいな」というのが第一印象でした。『エピソード4』に登場した数々の修羅場を潜り抜けてきた既にベテランの密輸業者の声は、低くて余裕も感じさせます。それに対して『ハン・ソロ』で描かれる駆け出しの孤児の声は、夢に向かって溢れんばかりのエネルギー、まだ腰が落ち着いていない若者らしい感じでした。

 

またこの説なんですが、あくまで僕なりの独自解釈のつもりでしたが、考えてみると思わぬ有力な根拠があることに気付きました。先ほども言及した『エピソード6』ラストの霊体アナキンの顔です。劇場版ではセバスチャン・ショウでしたが、特別篇ではヘイデン・クリステンセンになっています。その変更を下した件について、ジョージ・ルーカスは「彼が善人であった最期の瞬間、アナキンは(ヘイデン・クリステンセン演じる)若き頃の姿だったから」という見解です。

↑の映像は、『エピソード7』からのキャラクター・レイのキャスティングについて。監督が述べるところには、重視したのは演技とのことですが。デイジー・リドリーについて、僕は個人的にかなりの適役だと思っていまして。彼女が見せる表情は状況に応じて男らしさと女らしさ、優しさと激しさ、喜びと孤独といった様々な要素が見えるすごいバランスの顔だと思います。まだ2015年当時はその素性が謎に包まれており、彼女自身自分が誰かわかっていないというキャラクター・レイ。その特徴を端的に表した顔を見つけ出したキャスティングは素晴らしい仕事をしたと思います。

 

 

 

以上、SWで同じキャラクターが時代によって顔が違う問題について僕の考えを書きました。確かに人によってはとても気になる個所であると思いますが、僕はそれはそれで面白いかなあと思いますし、楽しみの幅が広がるように思えます。同じキャラクターを異なる俳優がそれぞれ異なる時代の姿を演じることで、面白い相互的な影響が生まれます。アナキンに関していえば、ジェダイのアナキンに後のベイダーに繋がる影を見たり、ベイダーの中にふとアナキンの面影を感じたり……といった具合に。今は『エピソード8』の円盤発売と、未だ”kid”と言われていた若いハンが蘇る6月の『ハン・ソロ』が楽しみで仕方がない日々です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、SWは

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